初めての留学経験が人生の転機に—NPO留学協会へ行き着くまでの軌跡—
NPO留学協会で事務局長としてご活躍されている酒井さん。アメリカ留学や留学エージェントでの経験、そして現在や将来についてのお話を伺いました。
酒井 雅典さん
留学のきっかけは数学の赤点?!
留学に行くまでは、英語も海外もほとんど興味はありませんでした。強いて言うならば、海外の映画が好きで、アメリカの雰囲気が好きだったということぐらいですね。
高校2年生の1学期、数学で赤点を取ってしまいました。「親に通信簿は見せられないな」なんて考えていた時に、「留学に行ってみるのはどう?」と親から勧められ、「これで赤点の埋め合わせになるんじゃないか」と考えたのが始まりでした。
ホームステイ先はサンフランシスコの郊外、車で3時間ほどの場所、期間は3週間。20人くらいの男女高校生が集まり、午前中は英語のレッスン、午後はアクティビティ、いわゆる異文化交流を行っていました。
留学当時は毎日が苦労の連続でした。特別英語に対して準備をしていたわけではなかったので、意思疎通がうまくできず...。でも後々考えると、この苦労がすごく良い経験だったなと思います。
帰国してからは学校内で「アメリカ留学に行った男」ということで噂になり、一躍ヒーローになっていました。当時あまり留学に行く人はいませんでしたから。その後の高校生活はこのキャラ付けのおかげで楽しく過ごせたので、いろんな意味で留学に行って良かったと感じています。
大学受験をどうしようかと考えた時に、留学経験が頭にありました。その中で、海外にキャンパスを持つ帝京大学に合格し、親に資金面の協力を得てアイオワ州にある帝京ウェストマー大学に進学します。
入学時点では学部の授業を受けることができるほどの英語力がなかったため、条件付き留学として英語学習のコースを修了する必要がありました。授業は毎日6時間、スピーキング、ライティング、リスニング、リーディングを学ぶESLの授業です。
アイオワを選んだのも、日本人が少ないだろうと考えてのことでしたが、いざ蓋を開けてみると、200人ほどの日本人留学生がいて「まさかこんなに日本人がいるとは」と驚きました。
とはいえ初めの1ヶ月で半分近くの人がいなくなってしまいます。理由は「想像していたのとは違う」からです。当時のアイオワはものすごく田舎で、スーパーはウォルマート1軒、娯楽は映画館1つだけ。大学は空港のある町から車で2時間はかかるので、移動するにも帰るにも簡単にはいきません。もはやできることは英語の勉強か筋トレくらいしかありませんでした。
そうして4月に入学してからこっそり12月に転校をします。前々から皆に伝えると付いてきてしまうからです。転校先はネバダ州にあるUniversity of Nevada Reno。当時は日本人が3人しかいないと言われていました。
新たな留学先—ネバダ、カリフォルニアへ—
実際入学をすると、日本人は100人近くもいました。留学ブームだったこともあって、ものすごい勢いで毎年日本人が入学してきたのだと思います。ただここにいた日本人はアイオワの時とは違い、日本国内でしっかり勉強を積んできた人たちばかりでしたので、学習に対して熱心に取り組む人たちが多く、私も勉強に集中することができました。
もちろん勉強以外にもライブを見に行ったり、大学間で行われるアメリカンフットボールの試合を観戦したり、筋トレやビリヤードをして過ごしたりしたので、遊びと勉強のバランスはうまく取れていたかなと思います。
大学の授業については引き続き英語学習のための授業を受ける必要がありましたが、なんとか1年ほどで学部の授業を受けられるレベルまで達しました。しかし問題が発生してしまいます。それは高校時代に取った数学の赤点です。赤点分の成績を補うために、カリフォルニア州の州都、サクラメントにある短大で1セメスター分の授業を受けることになります。
サクラメントではこれまでのような英語学習ではなく、英語で学部の授業を受けることができました。また大きな街でしたので休みの日はショッピングモールやディスコに行くこともできましたし、NBAのチームがあって、バスケを観に行くこともできました。
1セメスター分だった滞在期間が、結局1年半に延びて、短大を卒業するまでサクラメントで過ごします。短大卒業後の進路については色々考えていたのですが、なんだかんだ約4年間アメリカで過ごせたことや資金面についても課題があったため、就職をするという選択肢に考えが至り、日本の留学エージェントに勤めることを決めます。
留学を終え、留学カウンセラーとして
様々な仕事がある中で、留学エージェントで仕事をしたいと思ったのは、まず私自身の経験を活かせると思ったこと、そして楽しそうだと感じたことです。英語を活かすというよりは、自身の留学経験そのものを活かしたいと思っていました。
私の仕事は留学カウンセラーで、ハワイ留学を担当することになりました。アメリカ留学の経験を活かすことができるだろうと任されたのだと思います。簡単に仕事内容をまとめると、留学を考えている人たちに対してアドバイスをして、入国や学校生活に関連する手続きをし、そして彼らを送り出すという役割です。
苦労したことの1つとしては集客という部分です。やはり仕事として留学に送り出す人を集めなければならなかったですし、相談に来たとしても、利用してもらえるかどうかというのは別の話になるので、そういった意味では難しかったと感じています。
それでも仕事はとても楽しかったです。かつて自分が学校への入学や転入手続きを行なった経験が、留学カウンセラーとしての業務に活かせているという実感や、私自身の留学経験、楽しかった思い出や苦い出来事を皆さんに伝えることができる仕事にやりがいを感じていました。また皆さんが留学から帰ってきて、わざわざ私のところに立ち寄ってくれ「ありがとう」と言ってもらえることが何よりも嬉しかったです。
こうしてこの会社で8年間を過ごし、現在のNPO留学協会へ転職をします。
過去の経験が活かされる場所—NPO留学協会での活動—
NPO留学協会(以下、留学協会)の始まりは、初代理事長の北先生の物語から始まります。北先生はフルブライトと呼ばれる交換留学制度の1期生としてアメリカとドイツに留学をしました。その後、大蔵省での経験や弁護士としてのキャリアを積み、留学生へ恩返しをしたいと考えるようになりました。
こうした想いを持つ北先生と、前の会社の社長、そして現在の理事長である津吹さんが共に集まり、留学協会が設立される運びとなりました。
そして私に事務局長への白羽の矢が立ち、今では創設メンバーとして働き始め、もう20年になります。
留学協会は留学生を増やしていこうという活動がメインの仕事にはなるんですけれども、設立当初は北先生が弁護士でもあったため、主にトラブル相談に取り組んでいました。その後、留学に関するトラブルを未然に防ぎ、適切なアドバイスを提供できる人材を育てるため、「留学アドバイザー」という試験を開始しました。現在(2023年8月時点)では約1400人の合格者がいます。また、セミナー活動も積極的に行っており、留学生の数を増やすために様々な活動を行っています。
留学協会では私の過去の経験、アメリカ留学、留学エージェントとしてのキャリア、そして留学協会で積み上げた経験、全てが結び付いていくことに、大きなやりがいと楽しさを感じています。
ただ現在の留学協会はまだ盤石ではありません。留学協会の知名度向上に努めること、そして皆さんに留学の魅力を感じていただけるような体制を整えることも必要です。語学力向上のサポート、お金がなくても留学に行ける仕組みや、有益な情報提供にもさらに力を入れていきたいと考えています。
振り返ると留学に行ったことで図太くなったと思います。最初の短期留学から始まり、アイオワ、ネバダ、カリフォルニアと移動して生活していく中で物怖じをしなくなりました。また同時に危機察知能力も養われ、危険な場所は避ける、場合によっては物事を慎重に進めるということもできるようになったと思います。
留学を考えている人へアドバイスをお願いします
長期でも短期でも、海外に行けるチャンスがあるならば、ぜひ1度でも行ってみてください。行かない理由はいくつでも見つけられるかもしれませんが、チャレンジしてみる価値はあると思います。私のように留学で得た楽しかった経験や苦い思い出が、笑い話にもなって、将来に良い影響を与えてくれることでしょうから。
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