留学が人生のあらゆる起点に。クライミングと英語から生まれたライフプラン

エンジニアとしてのキャリアを歩む西村さん。中学、高校、カレッジとカナダへ留学しクライミングに目覚めた彼は、留学から帰国後、趣味を軸にしたライフプランでキャリアを選択します。そうした中で、ある種の危機感から、大きく人生の舵を切ることに。そんな西村さんがこれまでと未来への想いを語ります。

西村 大樹さん

きっかけは母の言葉。カナダの地で見たのは想像を超えた景色

カナダ宅でのホームパーティ
▲カナダ宅でのホームパーティ

私の人生が大きく動き出したのは、中学二年生のとき。母の言葉がきっかけでした。

当時、私自身は英語に対して特別な熱意を持っていませんでしたが、母から「今後の社会では語学力が大切になっていく」という話をされ、実際は行きたくなかったのが本音ですが(笑)、カナダへ移住しました。

もともと母は前から海外に住んでみたいと言っていたのですが、私の留学をきっかけに、一緒に海外生活をすることを目指していて。
「今住んでいる家も解約するつもりだから海外行くしかないよ〜!」と言われて、英語塾で必死に勉強しましたね。
そうして、中学2年生から高校3年生までカナダの地に渡って、留学をすることになりました。

留学して最初は文化の違いに圧倒されました。
入学式が11月1日だったため、ちょうどハロウィンの時期だったので、学校総出でイベントをやっていて。学校全体でハロウィンのイベントをやっておりフェイスペインティングをしていたり、髪色を紫にしていたり、みんなが全力で楽しんでおり、日本では考えられない光景を見て、「違う世界にきた……!!」と思いましたね。

最初の1年間は新しい環境に慣れるのが精いっぱいで、知識だけの拙い英語力で上手くコミュニケーションを取ることができず、ホームシックになりました。
しかし、2年、3年と過ごしていくうちにだんだんと経験を積み、話すことにも慣れて自分を出せるようになっていきました。

留学先の学校は人口200人ほどの村にあったのですが、周りを農地に囲まれて、道路も広く、自然あふれる環境でした。50キロ先まで見渡せる景色でしたから、日の出も日没もしっかり見ることができましたし、夜はとても星がきれいなんです。久々に日本に戻ってきたときは、ビルが立ち並ぶ整いすぎた景色に一番驚きましたね。

10年も海外にいると、日本の人たちとも価値観が変わってくる部分があるのかもしれません。視野が広がったり、ノリの良さが変わったり。今の自分の性格はやはり、留学経験にも形づくられているものだと思いますね。

仕事よりクライミング!互いにリスペクトをする姿に魅了されて

クライミング絶頂期
▲クライミング絶頂期

留学から日本に帰国した後は、ずっと派遣で働いていました。というのも、クライミングを中心にした生活が送りたくて、時間の融通が効く仕事を選んでいたからです。人生の第一優先は、仕事ではなく趣味だったんです。

そんな私が、クライミングを始めたのは、16歳のころ。海外留学の中選択授業でアウトドア系の授業を受けたのがきっかけでした。本格的に始めたのは24歳ごろで日本に帰国してからです。週4日通うほどハマってしまいました。

クライミングって、チェスみたいにパズル要素や自分の個性を出せる部分がありつつ、完全に自己満の実力主義で、失敗しても登れても仲間同士で笑えるってところがいいんです。 
たとえば、自分は同じコースをトライしている友達や他人に対して「落ちろ!失敗しろ!」なんて思うことはなくて、もっと頑張って熱い登りを見せて欲しいと思うので自然と「ガンバ!」って言っちゃいます。
一方で、自分が上がってるときは「俺が先に登ってやる」って闘争心があるんですが、後ろで見守ってる友達はもちろん、その場に居合わせた人も「ガンバ!」って声をかけてくれるんですよ。

互いが互いを励ましあえる、それでいて競技であるってことが最大の魅力です。マイナスの要素が何一つないんですよね。クライミングジムでも、顔見知りの方とは上下関係なく話できますし、何よりネガティブな意見やオーラが一切無いのも魅力ですね。

こうして、趣味を主軸に派遣の仕事にも取り組んでいたのですが、一番長期で働いていたのは製鉄工場でしたね。金属や部品のバリ取りといった仕事で、英語を生かす機会はなかったのですがライフスタイルには合っていました。

派遣先をいくつか経験しましたが、とある就業先で、派遣であることを理由に精神的な格差を感じる場面を目にしました。

私の感覚では、アルバイトでも、派遣でも、契約社員でも、社員でも、同じ仕事に取り組むメンバーとして差はないと思っていたのですが、雇用形態によってリスペクトが欠けてしまう文化があることを実感する出来事があり、ショックを受けて……
この就業先での経験から、見返してやろうと思い、自分自身の働き方を見返すきっかけになり、就職活動を始めました。 

コミュニケーションを武器に。得られたのはエンジニアとしての成長の機会

ロッククライミング_安達太良山
▲ロッククライミング_安達太良山

就職活動を始めましたが、わからないことにぶつかることもありました。
しかし、クライミングでの経験から、「人間はやってみればできる」というモットーを持っていて。自分自身、基本的に明るく前向きな性格なこともあり、職務経歴書の書き方すらわからない状況でも「なんとかなる!」と思って手探りでやっていきました。

とにかくコミュニケーション力には自信があったので、そうした力を生かしながら英語を使えるところを中心に選考を受けていきました。ありがたいことに何社か内定を頂きましたが、弊社が自分に一番合っている会社だと思い、入社を決めました。

弊社の人たちは、いい意味で価値観が日本人と少しズレていて、自分と同じような思考の人がたくさんいると感じたんです。社長もバックパッカーを経験しているためか、おおらかで面倒見がよく、理解がある人だと思いました。入社後もその印象は変わらず、とても風通しがいい環境です。

2020年現在は客先に常駐し、セキュリティ・インフラに関わるブリッジエンジニア兼システムエンジニアとして仕事をしています。

入社したタイミングでは、通訳として英語が理解できても、専門用語がわからなかったため、ITに関する知識を身に付けるところから始めました。
おすすめされた資格の勉強をしたり、日々技術的な話を噛み砕いて理解を深めたりしていました。

実は会話よりも、文面だけで表現するメールのほうが意外と難易度が高いんです。英語のメールはフランクで気を使わずに送ることができるのですが、先方にITの知識がない場合にはどう伝えれば一番わかりやすいか?を考える必要がありますし、逆にITの知識が豊富な方から連絡が来る場合には、相手の専門用語に追いつく努力が必要でした。
これまでの業務でPCメールを使っていなかったので、私の場合は敬語を駆使した日本語のメールを覚えることにも苦労しました。

常駐先の方々も良い人ばかりなので、積極的にコミュニケーションを取りながらわからないことは教えてもらったり、逆に担当する案件以外でも通訳を任せて頂く機会もあったりと、いい信頼関係を築いています。

経験を通じた教訓。居心地がいいこの環境に対して恩返しがしたい

同期と
▲同期と

趣味を軸に生きてきた自分の人生は好きなのですが、ひとつだけ後悔していることがあります。それは、弊社にもっと早く入っていればということです。

留学から帰ってきたころは自分の持つ語学力が武器だと思ってなく、正直、都内でスーツを着ている人は全員英語が喋れるって思ってたんです(笑)。
でも実際は「あっ、英語って結構重宝されるものなんだ」と気づいて。

それから、何かやりたいって思ったときに大事なことって、やる気持ちの次に情報収集が大事だと思っています。人って勝手な思い込みや、考え過ぎで行動に移せないこともありますが、情報収集をちゃんとしていればもっと早く、いい場所にたどり着けると思いますから。

そういった気持ちを持ちつつ、2018年から2年ほど働いてきて、弊社の「とりあえずやってみる」という文化は自分と非常に相性がいいと感じています。居心地がよく、上下関係もなくフラットな関係性であることが魅力ですね。

社長と毎月「こんな会社にしよう」という意見を交わすこともできるんです。
以前、有給5日間をどうしたら社員が消化してくるか?という議題が上がったとき、委員会をつくって社員を集めてみんなで話し合ったんです。その結果、旅行の支援代を出せばみんな有給を使って旅行に行くんじゃないか?という結論になりました。

有給消化して海外に行くならその分旅行代を出してあげるという、他社では考えられないような制度ができ上がった瞬間でしたね。ただ「有給を取りましょう」と強制するのではなく、取りたいと思うようなしくみを作ってくれるところが、弊社らしくてとても好きです。

現在は調整がメインの仕事となっているため、今後はもっと技術的な仕事も手掛けていきたいです。
海外とやり取りをする上でのユーザーサポート業務は慣れてきたため、新しいことにもっと挑戦していきたいです。現在も自宅でエクセル時短術を学んだり、セキュリティに関する勉強をしたりしながら、できることを増やしていこうと取り組んでいます。
私自身が技術を身につけることで、弊社にも常駐先にも恩返しができればと思っています。