変化する環境で身につけた柔軟性——“新しい”と“やりたい”を追い求めて

大蔵さんは、中学・高校時代をドイツで過ごし、言語の壁に苦戦しながらも異文化に触れる貴重な経験を積みました。帰国後は公立高校に編入、美大でデザインの道を志します。卒業後は会社員として働いた後、韓国へ留学。そして現在は、会社員とフリーランスの二刀流で活躍する大蔵さんに、これまでの歩みについてお話を伺いました。

大蔵 泰菜さん

ドイツでの日々、そしてデザインへの一歩

父の仕事の関係で、中学・高校時代はドイツで過ごしました。日本でやりたいことがたくさんあった時期、突然の海外に気持ちは後ろ向きでした。しかも、通うことになったのはインターナショナルスクール。「どういうこと?」という状態。でも、腹をくくらざるを得なかったです。

学校は幼小中高一貫校。規模が大きく、いろんな人種の生徒がいました。通学バスは観光バスサイズで、初日から圧倒されっぱなし。英語ができる日本人の友人についていく形で過ごしていました。その結果3年間のインター生活で英語もドイツ語もあまり身に付かず。今思えばどうやって授業を受けていたのか不思議でなりません…。ただ、少ないながらも共通の趣味を持つアジア圏の友人はできました。これが、のちの韓国留学へとつながっていきます。

そして高校3年時に帰国、公立高校の美術科に編入しました。もともと絵を描くのが好きだったし、何より勉強嫌いだったので「美術系だな」と。父も美大出身なので、自然な流れだったのかもしれません。高校編入と同じタイミングで美術予備校に通い、幸いにも現役で美大に合格しました。

大学ではグラフィックデザインを専攻。当時はゲーム、特に「ファイナルファンタジー」シリーズが好きで、キャラクターデザイナーに憧れていたので「自分もいつかキャラデザをやりたい!」と思っていました。いざ入学してみると、周りはレベルが高い人ばかり。「自分の強みって、ここでは当たり前なんだ…」と圧倒されました。大学4年間の生活は、似た趣向の友人に囲まれながら勉強に、遊びに、「ハチクロ」さながらの楽しい毎日でした。

会社員の日々から韓国留学へ──新しい挑戦を求めて

就職活動は当時興味を持っていたWeb分野で探しました。当時はFlash全盛期。動くWebサイトやFlashアニメなど動的なウェブコンテンツの出始めだったと思います。新しい表現ができるWebデザインの世界にワクワクしていました。

無事、大手電機メーカーグループのデザイン制作会社に採用され、入社。Webデザイナーへの一歩として希望に満ちていたのですが、配属先はグラフィックデザイン部。「ウェブデザインは…?」と、目の前が真っ暗になりました。

それでも1年ほど経ち、業務に慣れてきた頃、突然の出向命令。また目の前が真っ暗になりましたが、当時は言われるがままに行くしかないですよね。出向先は製造販売会社で、新商品販促部にてパワーポイントで資料制作をしたりしていました。営業同行も多く、外回りの間に上司にランチを奢ってもらったり、それなりに楽しかったです。この期間はいわゆる「会社員」としての貴重な経験でした。

帰任後はWebチームに配属されたのですが、デザインの実制作はほぼ外注していました。私の仕事は企画やディレクション、クライアント対応が中心でした。「デザイン制作がやりたいのに…」という気持ちと、指示出しばかりであまり仕事を楽しめなかったですね。さらにその頃36協定が施行され、残業が厳しく制限されるようになりました。時間はあるのに、やりたいことができない。なんだかエネルギーを持て余していました。

そこで、ドイツ帰国後にコンプレックス化した語学面で何か始めようと、韓国語の勉強をスタート。英語は苦手意識が強すぎたので、何も知らない語学がいいなと。当時はちょうど韓流ブーム真っ只中。ドイツ時代からの韓国人の友人もいたので親しみもありました。そこから1年ほど独学し、なんとなく受けた韓国語能力試験に受かってから、もう少し学びたいなと思って調べて初めて「留学」という選択肢があることに気づきました。会社勤務も5年ほど経っていたので良い時期かなと思って、そこからはスッパリ退職して留学の流れに。

せっかく自分のお金で行くのだから、自分の好きなように学びたいと考えました。韓国へ中長期的に語学留学する場合、大学附属の語学堂(大学運営の語学学校)に行くのがセオリーなのですが、そこで、韓国の美大トップ校の一つとされるソウルにある弘益(ホンイク)大学に語学堂があることを知りました。「ここなら美術系の現地学生と出会えるかも」と思い、決めました。

語学堂では、現地の学生とパートナーを組んで学ぶ機会があります。私はパートナーの学生とはあまり相性が合わずでしたが、日本人の友人とパートナーになった美大の大学院生を紹介してもらって、すごく仲良くなりました。彼女は日本アニメ・ドラマ好きで独学ながらもほぼ完璧に日本語を使いこなす子で。ソウルに滞在した1年間でそんな人が1人や2人でなく、結構な人数に出会ったので、想像以上に日本の影響を感じましたね。

韓国では若者も、自身のルーツや歴史への関心が強く、物事に対して自分の見解をきちんと持っている印象です。ドイツにいた時も外国人に対してそう感じたことを思い出しました。日本人である自分より外国人のほうが日本について詳しいと感じる場面が何度もあって、自分の国のことや考えをきちんと持つことは大切だな、と改めて考えさせられました。

自分らしい働き方を求めて──会社員とフリーランス

帰国後の転職活動は、エンドユーザにより近いBtoC企業を当たりました。前職がBtoB企業だったので、自分のデザインが誰に、どのように使われているのか実感が湧かず、もっと日常的に人の目に触れるデザインに関わりたいと思っていたんです。

そんな中で、興味を持った居酒屋や飲食店を全国に展開する外食企業に転職しました。飲食業はイメージもブラックで…ちょっと馴染みなかったのですが、この会社は生産・流通・販売を一貫していて自社で手掛け、そこに関わる人たちも大切にしていて。業務面はデザインを外注せず社内の少数精鋭で完結する環境だったのも魅力でしたね。

それまで、お客様の要望に沿う仕事スタイルが、自社商品をお客様に伝えるデザインづくりとなり、大きな変化でした。デザイナーも企画に参加。現地で生産者の想いを取材し、それを伝えるべくストーリーのあるメニュー作りを大事にしていました。年代の近い同僚と共に切磋琢磨して刺激的な日々でした。

その反面、働き方がじわじわと不満になっていったんです。休日祝日はあまり関係なく、繁忙期は店舗にヘルプ、メニュー改定時期は毎日終電など。考えればお店で働く社員が多いので、それに即した勤務形態ですよね。ただ、将来的に結婚や子育てのことを考えると、このまま続けるのは難しいなと思ったんです。そんな中、周囲でフリーランスとして活躍する友人、先輩、当時の彼(現在の夫)の姿があったので独立もありかと思い始めました。これまで築いてきた人脈もあり、仕事の見込みがある程度立っていたので、思い切って挑戦することにしたんです。

そこからは早くて。フリーランス1年目は時間もあったので宣伝会議の講習を受けたり、近所のシェアオフィスの手伝いをしながら人脈を作ったりと、人と地域との関わりを重視して生きてました。というのも、会社員じゃなくなって、自分の住んでいる地域のこともよく知らないし、知り合いもいないな、と孤独になりまして。それに自分で仕事をするなら物理的に距離が近い人と一緒にしたいと思ったんです。近所にもデザインを必要としている人は絶対いるはずだ!と。

働き方としては、前述のシェアオフィスの存在も大きくて。託児付き(当時)のシェアオフィスで、赤子の横で母ちゃんがパソコンパシパシ叩いてて。当時は独身だったので、衝撃の光景でした。それと同時に、小さな子供が居ても自分のペースでこうやって働けるんだ、という勇気をもらいましたね。ロールモデルとなる方が大勢いて心強かったです。

そこから、結婚、一人目出産、二人目出産と人生のイベントが続きますが、上記の環境に身を置いていたおかげか、フリーの仕事は途切れることなく続けていました。自分で仕事をしていたので、産休・育休という概念もなかったというのもありますが。(笑)

フリーになってから気づけば6年、上の子どもが小学校に上がるタイミングで自分自身を振り返る気持ち的な余裕ができて、今度はまた人と一緒に働いてみたいなって思い始めました。あと、収入の安定も。

そこからまた、いつものごとくババーって動いて。フリーの仕事を辞めることは頭になかったので、両立できる会社を探しました。柔軟な働き方に明るいデザイン制作会社にご縁があり、現在は会社員とフリーランスの二本立てに。会社はリモートなので生活&仕事環境はほぼ変わらず、週の半分は会社員、残り半分はフリーランスです。今は新しい働き方に慣れ始めたころです。

家族は夫と小1、3歳の娘が二人。下の子が小学校に入るまでは成長をそばで見守りながら、日々の小さな変化を楽しみたいと思っています。一方で、仕事場にしているシェアオフィス(前述)には外国人も多く、意図せず英語を使う機会が増えました。実はそのおかげで英語嫌いもマシになって(笑)。変な英語でも通じるし、今は「次あったらこれ言おう」と脳内でプチロールプレイして楽しんでいます。 振り返ると、ドイツでの複雑な海外経験、楽しすぎた学生生活、思い通りにならない社会人時代、自らの意思で行った韓国留学、環境の変化が積み重ねて予期せぬ状況や新しい環境に対しても楽しめるようになったのかもしれません。

海外に行ってみたいと思っている人へアドバイスをお願いします

「行きたい!」と思ったときが、そのタイミング。
私は「行きたくない海外」と「行きたい海外」の両方を経験しましたが、行きたい海外の時は、不安や心配の言葉はひとつも浮かばず、頭の中はどうしたら行けるかだけで、自然と体が動いていました。
なので「行きたい!」と思ったら、もう行く流れなんだと思います。あとは実現のために動いて、行っちゃってください!


大蔵 泰菜(おおくら・やすな)
デザイナー
武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科卒業。制作会社や外食を経験後、2017年よりフリーランスに。「デザインの地産地消」「表現の駆け込み寺」をテーマに各種デザインに関する相談や制作を行う。領域はグラフィックデザイン、ロゴデザイン、パッケージデザイン、イラストレーション、資料作成支援、デザイン作成支援、ウェブサイト制作など。
https://ysnokr.myportfolio.com