新しい世界を求め — オーストラリア、カナダのワーキングホリデー
熊澤さんは、観光物産の棚卸業者で営業をしていました。しかし、入社5年を迎えたときに人生の舵を切り、オーストラリアとカナダへのワーキングホリデーに挑戦します。その後総合商社での営業経験を積み、現在はITエンジニアとして活躍している熊澤さんのストーリーをお聞きしました。
熊澤 みなみさん
新卒から働いていた会社を辞め、新しいチャレンジ — オーストラリアへ
初めて海外に長期滞在をしたのは26歳のときでした。
それまでは新卒で入社した会社、観光物産の棚卸業を行う営業として毎日段ボールを持って走り回る日々を送っていました。
入社して3年した頃、何となく現状に疑問を感じ始めました。この仕事が嫌だったとかそういうわけではなくて「新しいことにチャレンジしたい」「まだまだ冒険したい」という想いが私の中で沸々と湧き上がってきていたんです。入社5年、思い切ってオーストラリアのゴールドコーストへワーキングホリデーに行く決断をします。今でも辞表提出の瞬間を鮮明に覚えています。それが、私の人生で最も緊張した瞬間でした。
オーストラリアに到着して驚いたのは、家のドアノブの高さです。私の身長が低いということもあるのだと思いますが(笑)。
まず生活基盤を整えるため、そして英語力を磨くために語学学校に通います。勉強と遊びの毎日で、学生に戻ったようでした。毎週末、語学学校では卒業パーティが開かれており、全然知らない人のパーティにも勝手に参加をして楽しんでいました(笑)。 ホームステイ先のホストマザーはとても優しくて、英語が得意でない私のような人のこともすごく理解してくれていました。ルームメイトはスイス人や韓国人で、一緒にご飯を食べたり、買い物に行ったりして、普段の生活も充実していました。
オーストラリアでの様々な経験
3ヶ月経つ頃、学校の卒業や新しい住居探しなど、生活の転換点が訪れます。
新しい入居先はオーストラリア人オーナーが管理する家で、友達とルームシェアをすることに。そして家だけでなく、仕事先も見つかり、ジャパニーズレストランでホールの仕事、スポーツバーで清掃の仕事を始めます。
ジャパニーズレストランでは、お客様となかなかうまくコミュニケーションを取れなかったことが苦い思い出です。スポーツバーでは、幽霊の噂が広まっており、私自身も奇妙な気配を感じることがあったので、楽しくもあり、恐怖でもあった仕事でした(笑)。
しばらくして、ファームでの仕事がものすごく稼げるらしいという情報が日本人コミュニティで話題になり、私も友達と仕事を求めて車でケアンズ方面へ。
ゴールドコーストからケアンズまではかなりの距離があったため、ケアンズへ到着するまでに仕事が見つかるだろうと期待していましたが、結局ケアンズに到着するまで、一つの仕事にも巡り会うことができませんでした。おそらく、オフシーズンであったことが影響したのだろうと思います。
ケアンズには友達の利用している留学エージェントの支店があったため、情報収集を行い、マリーバという町にあるハーブファームの連絡先を手に入れます。
ここから私のファームライフが始まります。
ハーブファーム、バナナファーム、オレンジファーム、そしてもう一度バナナファームにと、様々なファームを経験しました。どの仕事も大変ではありましたが、お金も稼ぐことができました。そして何よりも生活自体がとても楽しかったです。15人くらいの大人数で同じ家に住み、誕生日パーティを開いたり、家事の分担をして協力しあったりして、毎日わいわい過ごすこともありましたし、キャンプ場のような場所にも住みました。キッチンやトイレ、シャワーが外にある環境で、みんなで一緒に料理をしたり、たわいもない話をしたりしながら、充実した日々を過ごしました。流れ星や天の川が毎日のように見え、ワラビーが家の周りでジャンプしているようなものすごく自然豊かな場所でした。たぶんどこも田舎で何もないような場所だったので、みんなの結束力がより高まり、楽しさも増したのだと思います。 そうしてオーストラリアでのワーキングホリデー生活2年間を終え、帰国します。楽しかったけど、英語があまり勉強できなかったなという想いを残して。
2回目のワーキングホリデー — カナダのカルガリーへ
帰国から約1年、カナダのカルガリーへワーキングホリデーに行きます。今回こそは英語をしっかり勉強しようという想いでした。
カルガリーを選んだのは日本人が少ないこと、またオーストラリアで出会った人からカルガリーは素敵な場所であるという話を聞いていたからです。
まずは人脈作りを目的に、語学学校に通いました。学校のクラス分けはテストによって行われます。私は上のほうのクラスに割り当てられたので、日本語を多く使っていたにもかかわらず、オーストラリアでの経験の中で、自然と語学力が向上していたことに気付きました。
生活面では、最初ホームステイを選びました。カナダ人のおばあちゃんのお家です。ハウスメイトは様々な国の人が入れ替わり住んでおり、完全英語環境の生活でした。一緒に車で観光に出かけることもあり、そのときに熊を目の前で見て、「カナダって熊は日常生活で見れるんだ~」なんて思ったりしました。
カルガリーはマイナス30℃になるような日もあります。そのため、マイナス10℃の日でも「今日は暖かいな」と感じることがあるほどです。人って様々な環境に適応できるんだなとしみじみと実感しました。
そうして1ヶ月が経ち、語学学校を卒業し、サンドイッチ屋さんで働き始めます。語学学校で知り合った人からの紹介です。サンドイッチ屋さんではカナダ人のオーナー家族やイタリア人、そして韓国人、カナダ人のバイト仲間と一緒に仕事をしていたため、英語を毎日使う日々でした。仕事内容は、バックヤードで材料の仕込みや簡単なサラダ、パスタの調理です。休日や仕事が終わった後には、仲間たちとキャンプや釣り、飲みに行くこともありました。 このサンドイッチ屋では、ビザが切れるまで働き続けました。途中ワークビザを出してもらうなんて話にもなったんですが、手続きの問題などでうまくいかず...。それでもカナダでは充実した1年間を過ごせたと感じています。
営業職、ITエンジニアとしてのキャリア
帰国後は東京に行ってみようと考えていました。その理由は、オーストラリアやカナダに滞在している際に、私が日本出身であることを伝えると、よく「東京出身?」と聞かれたからです。大分出身の私は東京に行ったことがなく、日本の中心地である東京について何も知らないことに気付いたのです。
東京に移ってから、私は居酒屋でアルバイトをしていましたが、年齢を考慮すると、正社員としてのキャリアを積みたいと考えていました。そのとき、偶然にも総合商社の話を聞く機会があり、それが私の就職のきっかけとなりました。
その総合商社は住宅設備の販売を行っており、私は営業として配属されました。夜遅くまでの長時間労働や、他で発生したトラブルによって、私に火の粉が降りかかることもしばしばあり、とても大変な日々でした。それでもお客様からのサポートや協力的な同僚のおかげで、楽しく、嬉しい瞬間も多く経験することができました。
ただ、この仕事を一生続けていくかどうかについては疑問を抱いていました。そんな中、入社4年した頃、異動の話が浮上します。これまで慣れ親しんだお客様のため、共に支え合ってきた同僚のため仕事を一生懸命できていた部分があったので、その人たちと仕事ができなくなるのならばと転職を決意しました。そうして現在の会社に出会うこととなります。
現在、私はITエンジニアとしてゲーム関連の仕事のサポート業務に従事しています。日々の業務は主に英語でのメール対応が中心で、アメリカやヨーロッパからの依頼を受けています。そのためオーストラリアやカナダで英語を学べたことが今の仕事に活かせていると感じています。でもまだまだビジネス英語の勉強中です(笑)。
将来の仕事に対する明確な目標は模索中ですが、その過程にまだまだ色んな良い出会いがあると思っています、人だけでなく。そしてその度に行き当たりばったりの選択も楽しくてやめられないのですが、計画性と責任感を持った大人だと周りから感じてもらえる姿が今の憧れです。