ドキドキする刺激を求めて。オーストラリアの地で培った経験を軸に続ける挑戦

2021年1月から、営業担当となる飯塚 瞬さん。しかし、これまで経験してきたのは、旅行会社でのガイド業務とエンジニアという今とは違ったものでした。オーストラリアでの経験を生かしながら、新たな業務に対しては柔軟な対応を見せる飯塚さんが、過去を振り返りつつ、未来について語ります。

飯塚 瞬さん

ストイックに向き合った陸上。その中で団体競技の魅力を感じ始める

▲陸上部の頃

私は、小学校3年生くらいまでは引っ込み思案な性格でした。しかし、友達に少年野球に誘われ、スポーツをやるようになってからは前向きな性格に変わっていきました。

中学では持久走が得意だったので陸上競技部に入部しました。種目は中長距離で800mから3000mまでやっていました。頑張った分だけ結果として返ってくるのが楽しくて、中学校、高校の6年間は部活メインの生活を送っていました。
部活の休みは週に1回あるかないかでしたが、逆に練習がないと不安になるくらいでした。なので、練習もまったく苦ではなく、練習を重ね大会に出場するたび記録や順位も上がるため、オリンピックに出られると本気で部活に励んでいました。
普段はおちゃらけているタイプでしたが、競技や練習に対してはストイックだったため、他の仲間と比べると頭ひとつ分抜けるくらい、実力も差がついていました。

陸上競技は個人種目がほとんどですが、駅伝など団体種目でも勝ちたくて、みんなを自分のレベルに引き揚げたいという気持ちが強すぎて、他人にも厳しかったですね。もう少しリラックスしてできる他のやり方もあったのではないかと、今では思います(笑)。

結果的には団体競技の方が好きだったんだなと思います。今もライフワークとしてフットサルや、シーズンにはスノーボードをしていますが、団体競技の方がみんなで頑張った感じや充実感など、個人で優勝するよりも得るものが大きいです。

京都での悔しい気持ちをきっかけに。オーストラリアの地で、観光業に携わる

▲オーストラリアでのローカルガイド時代

本当は大学生の頃にワーキングホリデーに行きたかったのですが、金銭面的に休学してまで行くのが難しく、卒業後に行こうと決めていました。

ワーキングホリデーに行こうと思ったきっかけは、京都での経験がきっかけでした。京都に行ったときにノルウェー人の方と出会い、話しかけてくれたのですがコミュニケーションが上手く取れず、残念な気持ちになったのを思い出したんです。そこで語学を学ぶ為、人生で一度は海外で生活するのも良いかなと考えるようになりました。
また、シドニーの大学に通っているいとこにワーキングホリデーのことを聞き、それなら自分でも行けるかなと思いました。

オーストラリアのブリスベンという東海岸の都市に住み、1年目は語学学校や旅行に行っていました。そして、人手が足りない職業に従事すると次年度のビザがもらえるセカンドワーキングホリデービザという制度が始まり、実際にファームで3カ月間従事し見事ビザを取得しました。

2008年にローカルの旅行会社に縁があり、そこで仕事をすることになりました。役割としては日本の旅行代理店のローカルガイドとして、日本からの旅行者の受け口になっていました。自社のオプショナルツアーやローカル旅行会社とも繋がりがあったので、送迎業務などもあり、業務内容は多種多様でしたね。メインは日本からくるお客さんの対応だったので、ガイドは日本語ですが、現地調整は英語なので両方を使いながら仕事をしていました。

旅行会社では臨機応変に対応する力が身につきましたね。というのも、業務内容が定型業務ではないので、よく想定外の業務やトラブルが発生するんです。
一番マズいなと思ったのは、お客様とのツアー中に車が故障してしまったときです。当時はGPSもなく、後続車に追突され死んでいたかもしれない状況でした。しかし、通りがかりの現地の人に助けてもらい、なんとかトラブルを切り抜くことが出来ました。そのときに一皮剥けたかなと感じました。

今の業務は手順書があり、それ通りに行うのですが、想定外の業務も発生します。この経験があったからこそ、そのときに合うベストな対応を落ち着いて出来ているのではないかと思います。

当時、オーストラリアへの永住を考えていました。仕事は楽しかったのですが、休みはゼロで、このままではいつか自分の電池が切れてしまうなと感じはじめました。その為、ガイドの仕事だけでなく、現地の人達と同じ条件で働けるようスキルアップしたいと思いました。

それらを実現する正攻法として、現地の大学に通うなど移住条件を全て満たし、英語のテストをパスすれば永住権を取得できます。それを目指していたのですが、途中で体を壊してしまい、志半ばで日本へ帰らなければならなくなりました。

親しみやすい雰囲気に惹かれて。培った経験を駆使しつつ、新たな仕事に尽力

▲新しいことをチャレンジする

帰国後、持っている能力で何かできることはないかと探している中で、現在の会社に出会い、応募しました。マネージャーとして担当してくれている社員と面接をしたのですが、その際にすごく的確に業務内容を教えてもらい、自分でもチャレンジ出来そうだなと思い、入社を決めました。
英語を使える環境でもあり、会社の雰囲気も良かったです。今でこそ社員数が100名を超えていますが、70名程度の規模でアットホームな会社でした。

入社後に感じたのは代表しかり、営業とも距離が近いこと。最低限の礼節がありながらも、ざっくばらんな話から仕事の話に関しても遠慮なく話が出来ます。代表もお兄さんみたいな感じで、入社当時からあるアットホームな雰囲気は健在です。

入社から1週間立たずに現場が決まり、最初はサーバーの監視業務をすることになりました。
もちろん未経験の業務内容でしたが、基本的なサーバーの仕組みや一般の人であれば持っていないだろう知識が身につきました。現在もサーバー監視業務が一部あるのですが、何かあったときに対処できるくらいにはなりました。
2年ほどサーバーの保守運用を担当し、マネージャーに誘われ現在の現場に移り、国際ネットワークの監視業務や障害原因調査、海外担当者との言語アシストをしています。

現場でよく言われるのが、私は手順にないものや、誰も当たらないような障害によく当たるんです。新しい案件があると「最初にインシデントを引くのは飯塚だろう」と言われました(笑)。実際、その確率は高く、サービスの運用が始まる前の案件について、海外から問い合わせが入ってしまうこともありました。
そのようなときにも「またか笑」と思うくらいで、未曾有のトラブルに対して不安はありません。これはオーストラリアの経験が生かされている部分でしょう。

しかし、前職と今の業務では求められるものが逆です。前職では売り上げなど数字的な結果が求められましたが、今はどれだけミスをしないかというクオリティの維持が求められます。ミスをすると挽回のチャンスがないので、いかに完璧に完遂するかに気持ちをシフトさせて業務に当たっています。それで滞りなく業務が遂行でき、お客様に評価していただけると、やっていたことは間違っていなかったんだなと安心します。

プレシャーはありませんが、やはり責任はあります。いちオペレーターですが、古株ですからね。先輩として、メンバーには口酸っぱく自分の経験を踏まえて業務の責任を伝えている最中です。

ドキドキする好奇心を原動力に。営業という新たなフィールドでの挑戦

▲趣味のスノーボード

2021年1月からは営業を担当することになります。
これまで、営業を専門に仕事をしたことはありません。しかし、オーストラリアでの経験や自分のトークスキルやコミュニケーション能力を生かしてチャレンジしたいと思っています。
まだ営業の仕事についてわかっていない部分もありますが、まずは1年間、営業業務にしっかり取り組もうと思っています。
最初は、現在の営業マネージャーのもと、勉強させていただきながら働かせてもらうので、安心感があります。自分を担当してくれた営業担当を超える営業マンを目指すぞという気概で取り組もうと思っています。

いつかは日本の他の都市にも住んでみたいですし、フットサルやスノーボードの他にも、生涯スポーツとなるものを見つけたいと思っています。
そして、まだ漠然としてはいるのですが、また海外に住みたいなという気持ちがあります。

私は好奇心が強いのですが、新しいものに出会ったときのドキドキ感は年齢を重ねると、機会が少なくなったと感じています。しかし、土地や環境を変えると全く知らないことに出会えます。それが自分の原動力でもあるので、公使共に常にチャレンジしていきたいです。