オーストラリア、アメリカ、ニュージーランドでの経験が大きな人生の財産に
現在IT会社で働く菅野さん。もともとITの世界で働く人生計画ではありませんでしたが、紆余曲折あり、ここに辿り着きました。様々な国で様々な経験がある菅野さんの現在に至るまでのお話を伺いました。
菅野 裕樹さん
大学時代—オーストラリアとアメリカでの留学を経験して—
子供の頃に海外旅行へ行ったことがありましたが、中学校高校と、部活がメインであったため、英語や海外とは縁遠い生活を送っていました。
大学に入学してからは中学時代や高校時代の部活をやっていたときに感じていた生活の充実感があまり感じられていなかったことがきっかけで、大学1年次にオーストラリアのサンシャインコーストの語学学校に1ヶ月語学留学をします。語学学校で月曜日から金曜日まで英語の授業を受け、ホームステイで現地の人と生活をしていました。しかし特別英語を勉強していたわけではなかったため、その1ヶ月間はうまく英語でコミュニケーションを取ることができませんでした。
帰国後は、もっと英語を話せるようになりたいという想いや、このまま大学生活を過ごしていても何も武器がなく、埋もれていってしまうのではないかという不安に、英語をもっと勉強していきたいと思うようになっていました。
大学3年次には、大学で行われていた交換留学の試験があり、TOFELと面接の試験を通過し、大学4年次にアメリカのカリフォルニア州立大学に9月から翌年の6月まで留学をします。
今回は語学学校ではなく学部の授業に参加をしたため、英語でのコミューケーションがより求められ、苦労の連続でした。それでも英語ができるようになりたいという想いがあったので、日本人よりもアメリカ人や他の国の交換留学生と関わるように意識をしたり、日本語を学びたいと思っているアメリカ人とランゲージエクスチェンジをしたりして、自身の英語に磨きが掛かるよう過ごしました。
また学部の授業に付いていくのも必死でしたので、24時間開いている図書館に、夜中の2時3時まで授業の予習をするなんてこともありました。 アメリカでの日々を過ごす中で、日本で使われているテキストや単語帳に出てこないような英語に触れることができましたし、文法や発音などを執拗に意識せず、どんどん英語でコミュニケーションを取った方が良いということを知れたのは大きな学びだったと思います。
オーストラリアでのワーキングホリデー生活
アメリカでの留学を終えた後は、日本で大学に復学し、就職活動を始めます。海外での経験を活かした仕事をしたいと考えていたため、海外に拠点がある会社を軸にして就職先を探しました。
そして海外に拠点を持つ機械要素部品の会社に就職をします。海外勤務ができるということが大きな決め手でした。しかし入社をしてみると、面接時に聞いていた海外勤務ができる条件と実際の条件には大きな乖離があったため、気持ちが途中で切れてしまい、3年勤めたところで退職を決めます。
その後オーストラリアのブルームへワーキングホリデーに行きます。大学時代に短期留学をした際、オーストラリアにいる人や気候が心地良いなと感じたことが、今回オーストラリアを選んだ理由でした。
ブルームはビーチリゾートだったため、ホテルでの仕事が見つかります。ホテルの庭園の芝刈りや草木の手入れを行う庭師の仕事です。気温は40度近くにもなり、8時間も外で作業をする仕事だったため、最初の頃はフラフラになりながら仕事をしていました。
庭師の仕事が板に付いてきた頃、レストランの皿洗いの仕事もするようになります。実際皿洗いとは名ばかりで、前菜やピザ、デザートを作ったりもしていました。
その後は庭師の仕事を辞め、バーのクリーナーの仕事とレストランの仕事を掛け持ちでやるようになります。言葉通り、月曜日から日曜日まで200日以上休みなしで働き続けていました。というのもお金が必要だったからです。オーストラリアでのワーキングホリデーを終えた後は、ニュージーランドに行って短期大学に入ろうと考えており、その資金集めでした。 そして働き詰めの1年間をオーストラリアで過ごし、日本に一時帰国します。入学に向けてIELTSの取得や願書の申込みなどの準備を進めていきました。
新たな目標—フライトアテンダントになるためにニュージーランドへ—
▲アメリカインターン1つ目のレストラン
日本での準備を終え、新しい生活に向けてニュージーランドへ。
入学したオークランドの短期大学ではフライトアテンディングのコースを受講しました。フライトアテンディングを学びたかった理由として、もともと海外旅行が好きだったということと、日本で就職していた頃はデスクワークが中心でしたがじっとしていられなかったため、動き回れて自分の英語が活かせる仕事をしたいと考えていたからです。
フライトアテンディングのコースはまず基礎として観光学から学び、そしてフライトアテンディングについて学びます。
ディプロマと呼ばれる学位を受け取るには授業の履修だけでなく、ニュージーランド国内または海外でインターンシップを行わなければなりません。最初に海外でのインターンシップが決まっていましたが、なんらかの理由で修了できなかった場合に備え国内でのインターシップを先に修了し、学位を取得した後に海外のインターシップへ向かいました。
まずはニュージーランド国内で接客に関わる仕事を行います。オークランドのホテルのレストランにてサーバーとして勤務しました。インターンといっても正社員と全く同じまたはそれ以上の仕事を任され、ホールでの接客はもちろんですが、ディナーパーティーのスーパーバイザーや備品整理も行っていました。
そして海外のインターンシップはアメリカで行うことになります。コロラド州にある63年連続で5ツ星の評価を受けているホテルの2つレストランで接客業を行いました。1つ目のレストランはサーバーの仕事に従事します。メインサーバーとして常に5、6テーブルを担当しました。勤務をしていた5ツ星ホテルの中でも比較的カジュアルなレストランではありましたが、接客スキルやマナー、料理やワインに関する知識は高いレベルで求められました。
2つ目のレストランは星5の評価を受けている高級なレストランでした。そのレストランではサーバーのアシスタントとして働いており、メインのサーバーを補助することが主な仕事でした。接客スキルやマナー、料理やワインに関する知識は1つ目のレストランよりも遥かに高いレベルを求められ、テストに合格しないと正式なスタッフとして勤務させてもらえませんでした。
インターンを終えた後は、フライトアテンダントの仕事に申し込む計画でしたが、ここで大きな情勢の混乱によって予定が大きく変わってしまいます。 大きな情勢の混乱というのはコロナウイルスの蔓延です。インターンの期間も残り1か月を切ったところでホテルの無期限閉鎖が決定し、アメリカでのコロナウイルスの感染は日本とは比べものにならないほど爆発的であったため逃げるように日本へ帰国しました。帰国後もみなさんご存知の通り、航空業界はコロナによって大きなダメージを受け、新しい人材を募集するどころか、人材を減らさなければならない状況になってしまいました。半年ほど様子を窺っていましたが、状況が改善することはありませんでした。
英語の能力を活かしてIT業界へ
航空業界での就職も難しく、今まで学んできた接客業に携わる仕事もコロナの影響が大きかったため、就職するのは困難な状況でした。そんな中で英語という自分の能力にフォーカスを当てて仕事探しをしていきます。
そしてアレックスソリューションズという会社に出会います。
アレックスソリューションズはITの会社で、今までやってきたこととはまったく違う業種でした。ただ英語を活かしてITの仕事をするということだったので、チャレンジをしてみようと決意します。
入社後は大手通信会社に常駐となります。海外とのやり取りは滅多になかったため英語を使う機会はあまりありませんでしたが、基本的かつ実践的なITの知識をこの現場で学ぶことができたので、この経験はこれからのITキャリアを考えると、大きなものになったと感じています。
大手通信会社での常駐を終え、現在では鉄鋼関連のシステム会社で海外の拠点にファイヤーウォールやクラウドのセキュリティ製品を導入、運用を行う仕事をしています。
ここでの仕事も英語が使えていますし、労働環境が良く、休みの融通も効くので、仕事自体に満足をしています。
この先、具体的なプランがあるわけではありませんが、今こうやってIT業界で自分の英語の能力を活かして仕事ができているので、ITの知識をさらに深めていって、様々な仕事にチャレンジしていきたいと思っています。 これまでの海外経験を振り返ると、英語の知識はもちろんですが、自分の想いや考えを声に出して伝えることが大切だと学びました。海外の人は特に自分の意見をはっきり言う人が多いですし、そうしなければ伝わらないという文化ですから。それが今の生活に活かされていると感じています。
海外へ留学やワーキングホリデー、ボランティアなどを考えている人たちにアドバイスをお願いします
とりあえず深く考えずに、興味が少しでもあれば海外に行ってみると良いと思います。たとえそれが1ヶ月間だったとしても。海外に行ってみなければわからないことは本当に多くありますし、英語以外の違った事柄にふれる機会も多々あると思います。そこは行ってみないとわからないので結局行くしかないと思いますし、それは早ければ早いほど良いと思います。そしてそこで違ったと思えば他の道を探せば良いですし、この道だと思えば突き詰めてみれば良いと思います。ただ何もせずに足踏みしている時間はもったいないと思う ので。