海外研修制度に惹かれ“未知の世界”へJoin!社会人として思い描くビジョンとは?
幼少期、アメリカへ訪問したことがきっかけで留学を夢見ていた北山 友美さんは、大学時に1年間ニューヨークへ飛び立ちました。ところが帰国後の就職活動では、ピンとくる企業がなく苦戦。そんな中で唯一興味を持ったのが当社でした。これまでの北山さんの歩みを振り返りつつ、これから先、目指す姿について語ります。
北山 友美さん
幼少期に抱いた留学したいという想い。それを実現させたのは頑固さでした
小学4年生の夏休み、親の転勤でワシントンD.C.に住んでいる幼馴染の家へ1カ月間訪問しました。
現地のサマースクールへ通うなど、経験することすべてが楽しく「いつかまたアメリカへ行きたい!」と思うようになったのが留学のきっかけだと思います。
本当は、高校を卒業と同時に留学をしたかったのですが、母の過保護な性格もあり「海外は危ないから行かないで」と言われ、高校生の私には自力でどうにかするお金や知識があるわけもなく断念。ですが、20歳になったら自分の意志で選択ができるようになると考え、留学すると心に決めていました。
1年でアメリカのカレッジレベルを卒業できるプログラムがあったので、飛びつくように書類を取り寄せて応募し、4年生の年にはニューヨークへ1年留学をするため旅立っていました。
また、アメリカは特待生や奨学金の制度が整っており、日本の成績やボランティア実績などを元に奨学金が承認されます。更に自分で貯めた100万円を使って留学することに。残りは自分で借りようとしたのですが、「そんなに真剣なら……」と両親が貸してくれました。本当に感謝しています。
当時はとにかく留学したいと一心で飛び出しましたが、今振り返るとお金がないなりに国や学校と様々な方法があったのではと調べの浅さを感じます。そう考えると、昔は一度決心したら周りが見えなくなってしまう頑固な性格だったのですが、今は以前よりも自分を客観視できるようになったと思いますね。
英語に対して、日本での筆記テストの成績は良かったので「できるっしょ!」と過信していたのですが、留学当初はトラブル続きで英語も上手く聞き取ることができず、わからないことも諦めて「わかった」と答えてしまう失敗もしました。ですが、啖呵を切ってアメリカまで来た手前、ここで帰ってしまうのはカッコ悪いと思い踏ん張りましたし「人生の中で一番勉強した!」と言い切れるくらい頑張りました。最後には、日本に帰りたくないと思うほど楽しかったです!
ニューヨークは人種のるつぼと言われるように、多種多様な人がいました。文化、宗教やジェンダーなど身をもって感じ、勉強したのが今の仕事に生きていると感じます。仕事で外国籍の方と話すときには、その人のバックグラウンドを考えたり受け入れられるようになりました。
幼少期、親の仕事上で転勤族だったこともあり、他人に対していい顔をする癖がついていたのですが、留学を通して、嫌なことはNoと自分の意見をはっきり言えるようになったのも成長のひとつです。
違和感を憶えた就職活動とIT関連会社との出会い
大学では醸造学科に所属し、生物系のことを勉強していました。祖父母の家が農家だったこともあり、食への関心がとても強く選択しました。
そのため留学から帰国後の就職活動では、大学で学んでいた食品系の会社をみて回って見ていたのですが、本当に自分がやりたかったことなのか、あまりピンときませんでした。また、説明会や履歴書の段階で学歴によって分けられていたり、自分が行きたくて行った大学が否定されている感覚になったり、違和感を覚えることも多かったです。
ちょうどそのタイミングで、同じように留学経験を持つ知人から、現在のことを教えてもらいました。
「おもしろい制度がたくさんあるし、社長が『うちの会社を成長のステップアップに使っていい』と言っている会社だし、やりたいことが見つからず迷っているなら入社するのもありだと思うよ」と話してくれたのがきっかけで興味を持ち、実際に説明会へ参加し、入社を決めした。
2018年に入社し、初めはエンジニアとしての基礎研修を1カ月ほど受けました。研修後、最初はエンジニアとして外資系の企業で通信業業務を担当。主な仕事は、外国人エンジニアのサポートや通訳をすることでした。
常駐業務が主な仕事なので社会人としての率先力を求められる環境でした。しかし、新卒の私からしたら初めてのことだらけ。さまざまな社会人として必要な常識を自分で調べたり、分からないことは分からないとはっきり伝えることで周りから教えて頂いたりと最初は苦労しましたが、かなり鍛えられました。
初めてのことばかりで大変ではありましたが、毎日が学びで、基本的にポジティブな性格な私には楽しかったです。また、私は負けず嫌いな性格で、できないから諦めるというのが嫌いなんです。高校では応援団チアリーディング部に所属していて、上下関係が厳しい中、心身ともに鍛えられた経験が些細な困難も乗り越えられる力として身につき、今に影響しているのかもしれません。
コロナで海外研修から帰国後、新部署“広報”で見つけたやりがい
いつか海外研修に行くことを目標にしていたため、2020年の1月の正月明けからイスラエルの海外研修が実現できたときは嬉しかったです。
エンジニアの仕事をしていたときからイスラエル研修の公募があったのですが、みんなのタイミングが合わず、誰も行けていない状況でした。
そんな中、現場の仕事がひと段落したタイミングで私が12月に挑戦したいことを伝えたところ、その意志が通りとんとん拍子で1月頭には行くことが決まりました。タイミングと運命って不思議だなと感じましたね。
アメリカでの留学とは異なりイスラエルには社会人として会社を代表して行ったこともあり、自由に自分の興味だけで行動するのではなく、先の展開やいち社会人として考えて行動することを意識しました。
ところが、イスラエルにいるときに新型コロナウイルスが流行し、イスラエルもすぐにロックダウンして、予定より早めに日本に帰ることに……。帰国後もエンジニアの仕事をする予定だったのですが、新しい案件に入るには変化が激しい状況禍だった為、2019年4月から立ち上げた新しい部署であるコミュニケーションデザイン室という社内外の“広報”のような役割として戦力することにしました。
2020年12現在、まだ情勢は落ち着いていません。そんな中でも社員が現場で働いていて孤独感などを感じないように円滑化を進めています。また、SNS等を利用して会社の情報を社外に発信するなども行っています。
SNSは自分の中のアレックスのイメージを崩さないように投稿していますね。とくにインスタグラムは毎日投稿しています。
今の仕事をできてよかったなと思うのは、人と関わることや良いところを見つけること好きなので、今まで話したことのない社員と接点が増えたり、社員ひとりひとりに貢献できたりする点です。アレックスからひとりで常駐先へ赴いて仕事していた期間が長かったので、広報を始めてからあらためてアレックスソリューションズという会社のことをあまり理解できていなかったのだなと感じました。
ですが、広報という仕事を通して会社を理解していくうちに、おもしろい経験をしてきた人やアグレッシブでマインドも柔軟な人が多くいることを知ることができ、さらにそんな素敵な社員のことをもっと知ってもらえる、発信することが出来るポジションを友好的に活用していきたいです。
学歴不問、やる気を重視する会社で新しいことに挑戦してみませんか?
今後の広報としての目標は、社員にこの会社を自分の家のような存在だと思ってもらうことですね。常駐先で大変ことがあったときに、「私には会社という居場所があるんだ」と思ってもらえるようにしていきたいです。
社員会を今はオンラインで開催していて、各社員に月に一度参加してもらっています。他にも毎週、英語に触れることができるイベントを社内外問わず開催しており、会話をするとき「北山さんと話していると楽しい」とか、「話しやすい」と思ってもらえるように心掛けていますね。そこでは、社員たちが常駐先で働いていて疎外感を感じないようにするなど、会社をよくするための施策も話し合っています。
弊社は、学歴関係なく、やる気や英語を活かしたいという気持ちを伝えれば受け入れてくれると思います。ボランティアや趣味、夢を追いかけるだけではお金がかかってしまう。それだけを頑張るのではなく、並行しながらキャリアを積んでいける場所があればいいと考えているんです。
成功すればやめればいいし、やりたいことがなくても働きながら見つければいい。就職活動では学歴や経歴などで落とされることも多いと思いますが、弊社はやる気を重視しているので、キャリアを積む過程として、力をつけるために入社するのも良いと思いますね。
そんな柔軟な考えの会社がおもしろくて、好きになったからこそ会社に貢献したいという想いが入社当初よりも出てきました。
私も初めはITと聞くだけで難しそうで未知の世界だと感じ、入社前は迷いもありました。ですが、ITと一括りにしているだけでいろいろな分野がありますし、未経験でも受け入れているので挑戦しやすいと思います。