青年海外協力隊を経て、今

もともとは英語が苦手だった川田さん。それを克服し、青年海外協力隊へ参加するまでに成長されました。さらには英語を使ったお仕事をして、現在では大手通信会社にお勤めをされています。そんな川田さんの軌跡を追いました。

川田 孝紀さん

苦手だった英語を克服したくて

学生の時はとにかく英語が苦手で、英語コンプレックスでした。

浪人中の全国模試で英語埼玉県7997/8000位、偏差値30、センター試験で60/200点、TOEIC250点。英語は吐きそうなほど苦手でした。

当時は就職氷河期、理系大学だったので、手に職と考えて技術職、システム開発会社に就職しました。パソコンが好きとか、プログラミングに興味があったわけでもなく、とりあえずパソコンの仕事なら食いっぱぐれないだろうと思って。

業務を通して、プログラミングを学び、徐々にシステム開発の上流工程へ。お客様との打ち合わせ、仕様書を策定、システムの開発から納品まで一通りの流れを経験しました。

当時はIT土方と言われる時代、残業天国でしたね。僕の残業ピークは月に240時間、朝9時から深夜3時まで、1カ月に17泊しましたね。先輩に残業300時間の猛者がいたので、そういうものかと割り切っていました。ただ、全てのPCモニタを叩き割ってやろうと思ったことも何度もありました。あと、300時間先輩はそのあと入院しましたよ。

英語はですね、新社会人になった4月から英会話スクールに通い始めました。いわゆる駅前留学です。英語コンプレックスを消したかったんです。通い始めて半年、1年と続けていくうちに、外国人の友達もできて、少しは苦手意識が減ったかな。今でも英語コンプレックスは残ってる気がしますねw

昔から洋画が好きで、アメリカへの憧れがありました。初代バッドマンでジョーカー役のジャック・ニコルソンがズボンの中からすげー長い銃を出して笑いながら打つシーンが好きだったなぁ、ゴッサムシティに行ってみてーって思いましたね。 社会人1年目23歳の時に5年後の自分のイメージ、目標を書いたのを覚えています。同僚は「仕事で○○できるようになる」みたいなこと書いていたけど、僕は「マンハッタンのオープンカフェでカッコイイスーツをきて英字新聞を片手にコーヒーを飲んでいる」。それがカッコ良く見えた、やっぱニューヨークでしょうw

偶然が重なり、青年海外協力隊へ

ブータン滞在時
▲ブータン滞在時

26歳になり焦りだしました、「マズい、5年後の自分まであと2年、早く海外に行かないと間に合わない!」どう海外に行くか思考を巡らせましたね。

そんな時に、オーストラリアで日本語教師をしている友人に会うことがあり、彼はオーストラリアにいる日本人事情に詳しく、「ワーキングホリデーも良いが、日本人と過ごして、中途半端に終わってしまう可能性もある。別の手段も検討すると良い」とアドバイスを受けました。

その頃、英会話スクールの友人が協力隊に参加することになりました。その時は、ボランティア精神あふれててスゴイね、くらいにしか思っていませんでした。

その後に大学の友人と飲んだ際に、「会社の同僚が青年海外協力隊に参加した」という話を聞き、直後に電車で中吊り広告で「青年海外協力隊募集!」、さすがに協力隊へのアンテナが立ちました。

協力隊説明会が近く開催予定だったので、すぐに行きましたよ。

協力隊はボランティア精神の塊のような人が行くものだと思ってました、「人々を助けたい」、「農村で井戸を掘りたい」みたいな。でも、実際は幅広い事業がありましたね。

事前のトレーニング、帰国後も国から手当の給付、さらには履歴書にも書ける、これは素晴らしい!って思いました。

協力隊として派遣されるためには審査を通過する必要があります。職種が約200種類あり、様々な国から要請がきます。その中から自分ができそうな要請を選んで応募します。当時は3つまで応募することができました。僕の第1希望はブータンからの要請。学校で生徒にコンピューターの授業、教職員へのITサポートを行う仕事内容でした。 ブータンを選んだ理由は、まず自分がアジア人なのでアジアの国々を中心に考えました。その中でブータンを見つけ、その時はブータンがアジアであることも知らず、調べてみると日本の昔のような風景がある国との記載をみて、ブータンに興味を持ちました。

事前トレーニングは70日間。福島県二本松市にあるJICAの訓練所に約200人の参加者が集まりました。参加者の内訳は女性が約60%、男性が約40%。

トレーニングでは、派遣国の言語を学び、各自の職種に合わせたワークショップ、演習が行われました。派遣先で気をつけるべきことやメンタルヘルスに関することも教えてもらいます。また、ボランティア活動、農業研修、養護学校での職業体験もあります。また、出発前には東宮御所に招かれ、皇太子様とお話しする機会もありました。

いざ、ブータンへ—激動の人生—

ブータン滞在時
▲ブータン滞在時

私が派遣された場所は、ブータンの首都から約70km離れた小さな村ロベサ。村というよりも道沿いにある小さな集落といった方が適切かもしれません。

そこに寄宿制の農業専門学校がありました。

生徒数は約200人、コンピューター室も設置されていました。まともに動かないPCと、遅すぎるインターネット。原因はウイルス感染の蔓延、ネット回線の細さ。

僕が快適にインターネットするためにがんばりました。PCネットワークを再構築とプロキシサーバー設置、WindowsServer設置してグループポリシーやWSUSを使い、セキュリティ対策を実施。結果的にかなりインターネット環境が改善されましたね。アダルトサイトばっかりみていたので、可哀そうだけどアクセス制御を。思春期の学生だから見せてあげたかったですが、、、

ブータンでは、停電や断水が頻繁に起こりました。特に断水が数日間続くのはかなり厳しかった、とくにトイレが。水が無いから流せないんですよ。飲み水はミネラルウォーター買ってたけど、さすがにトイレにはもったいないから。学校のトイレの床にうんこが積み重なってましたね、まるでうんこタワーですよw(笑)。

本当に何もない場所で、道路沿いでおばちゃんが売っている野菜を買って料理をしたり、ちょっとした食堂で食事をしたりという日々でした。

4月に赴任してから、その年は何一つ上手くいかなかったね、自分の日本人としての考えを変えられなかったからだと思いますね。あまりに上手くいかないから、年が変わったタイミングで、協力隊員とか日本人とか全て投げ出して、ブータン人になろうって思いました。衣食住全てブータン人化して、着るモノ、食べるモノ、話す言葉、しぐさ、全てを真似しまして、ブーダン人からの誘いは全部参加、彼らに交ざって彼らのように振舞って、そうしたら少しずつ上手くいき始めました。僕を受け入れてもらえたんでしょうね、きっと。

ある日、同じ協力隊員の日本人グループで民族衣装を着て寺院の祭りに行きました。入口のブータン人警察に僕だけ呼び止められて、「お前はあのグループのガイドか?」って現地語で話かけられました、ブータン人化に成功したようですw

ブータン人っぽく振舞ってブータン生活を満喫して、2年間の派遣期間を満了しました。

ブータンからの帰国時には、タイとマレーシアを2週間の旅行。帰国後は韓国旅行、その次はメキシコで2度目の協力隊活動として3カ月間で公衆衛生指導。そして年末にはロシア旅行と、海外を遊んで回ってました。

ロシア帰国後に事件がおきました。ロシアには協力隊の友人と彼女(今の妻)と一緒に行き、ロシアから1か月後、彼女の妊娠が発覚。ロシアはすごく寒かったんです。マイナス25℃。過酷な環境で生存本能が高まったんでしょうね。

海外をフラフラしてネオニートしていたら、貯金も気が付けば残り30万円。30歳無職、金もシゴトもない、大急ぎでバイト3つを掛け持ちしましたよ。

住む場所探しに、働く場所探し、さらに両親への報告(謝罪)に、結婚にと、スーパーマルチタスクでした。早くしないと子供が生まれちゃいますからね。 そんな時にアレックスソリューションズに出会いました。

背水の陣で挑む、ステップアップ劇

現在の写真
▲スウェーデン支社への3度目の出張、仲良しスウェーデン人同僚と再会

人生の一大イベントが同時にやってきて、完全オーバーヒートだったけど、無事に就職、出産もできて、家族になれました。

仕事内容は、大手通信会社のSOC(Security Operation Center)というチームに派遣され、セキュリティに関する運用業務を担当。海外のチームとも連携し、英語が必要とされる業務でした。

家族のためにお金を稼ぐ必要があったけど、自分にとって新しいコトをやってみたかったのでセキュリティの道を選びました。飽き性で、同じことを続けられないので、どうしたらステップアップできるかを常に考えていました。まずは顔と名前を憶えてもらおうと、他チームや他部署の飲み会に参加することでコミュニケーションを図り、協力隊のネタ話や、お土産を配りして、印象付けをしました。

沢山の人に知ってもらい、関係ができてくると、チャンスも増えると考えました。もちろんパフォーマンスも大事だし、資格で武装もしました。当時、アレックスでもトップクラスに資格保有していました。無資格からはじめて。

アレックスソリューションズには7年間在籍し、SOCのある大手通信会社にそのまま転職することになりました。

今は僕と部下一人の小さいチームでイノベーション推進を行っています。同じことを淡々とこなすことができないタイプなので、様々なチームとコラボして、お客様提案やVIP対応、サービス改善や新サービス開発など、色々やらせてもらってます。海外出張にもいく機会があります。社内にボルダリング部も作りましたw

目標は社長、少し大きめの目標がイイかなって。

留学など、海外に行ってみたいと思っている人へのアドバイスをお願いします

思い立ったらやってみるのが良いと思います、いつ何が起こるかわからないし。考えていると、いろんな不安要素が出てくるかと思いますが、それは実際に行動してから考えれば良いと思います。どんなに考えたところで、思い通りにいくことなんて無いですから。 あとはケガをすると良いかなと。子どもにもよくケガをしろって言ってます。ケガをすることで、ケガに慣れます、凹むけど。ケガをしても治るから大丈夫って思えるようなります。ぜひケガをしに行ってください。