IT未経験者が語学を生かして歩む、独自のキャリア──日本とイスラエルの架け橋に
大学卒業後、29歳までバックパッカーをし、2020年現在、オフィスマネージャーとしてイスラエルで新規事業の調査・立ち上げと、海外トレーニングプログラムの企画をしています。池田さんが歩んだ独自のキャリア、それを生かす道をご紹介します。
池田 遼子さん
音楽系の大学を卒業後、24歳から29歳までバックパッカーやワーキングホリデーをしていました。
そのきっかけになったのは、2001年の東日本大震災のボランティアに参加したことでした。現地に行ったときに「人生は何が起きるかわからない。だったら後悔しないように自分の好きなことをやろう。」と思ったんです。ボランティアに参加していた方々の中でも、アフリカにいったりフランスにいったりとグローバルな人が多く、その影響も大きかったですね。
最初はワーキングホリデーを活用し、フランスとカナダでそれぞれ1年ほど働きながら語学を学び、その合間にヨーロッパやアフリカ、アジアを長期旅行したり、日本に戻って仕事をしたりして過ごしていました。
基本的には現地に長期間住んでいるので、地元の人と仲良くなっていきました。新しい人と出会うのが好きなことや、ひとつの土地に止まってしまうと自分が成長しないなという意識があったため、1年ずつくらいで移住していました。
仕事は接客業が多く、レストランのサーバーやホテルやカフェ、ホステルの管理などを主にしていました。ときにはりんご狩りなどの季節労働をしたこともあります。
しかし、初めから海外生活の適応力が高かったわけではないんです。フランスへ行って語学学校に通っていたときは、まったくしゃべれず、シャイでよく部屋に引きこもっていました。でもそのときに、自分が人と会話できない一番の原因に気付いたんです。
当時のフランス語の先生はよく、あいさつをするときは相手に「週末は何をしたの?」、「家族は元気?」と聞きなさいと教えてくれました。しかしわたしは、話すのも億劫なのに、面倒くさいと思っていました。でも、それがないと実際に話が膨らまないんです(笑)。
そこで、「わたしが人と会話できないのは言葉以前に、人に対して興味がないからだ」とショックを受けました。そこからずっと部屋に引きこもるのも嫌になり、外に出てなるべくいろいろな人と話そうとチャレンジしていく内に性格もオープンになっていきました。
あと各国で生活をしてみての一番の学びは「自分ひとりでは生きられない」ということでした。また、自分の苦手なことや自信があること、窮地に陥ったときにどう対応するのかなど、自分に対する気付きが多かったですね。
未経験のIT分野で感じた、想像以上の自分の可能性
自分の中で、30歳までは好きなことをしようとルールを決めていたので、30歳手前になり就職をしないといけないなと活動を始めたものの、経歴的に正社員が難しく……。そんな中、英語を使えるところを探していて現在の会社に出会いました。
最初の面接で「ITは入社してから学べばいい」と言ってもらえたので、じゃあチャレンジしてみようと入社を決めました。
入社当初の業務内容はヘルプデスクだったので、ハードウェアやソフトウェアのトラブルがあったときに対応しなければなりません。何か不具合が起きたという連絡をもらったら自分で触りながら原因を調べて、問題を解決する。
わからなければもっと詳しい人に聞きながら取り組んでいました。ITの経験がなかったので、とにかくわからないことは人に聞き、1年半後には理解できるようになっていきました。
問い合わせをしてくる方の半分は海外、とくにドイツの方が多かったので、英語で依頼され不明点は日本語でチーム内に相談し、また英語で返答をするという流れです。ときには原因とはまったく関係ない話をする人もいるんです(笑)。その中で要点だけ聞き取り、考える。とにかくコミュニケーション能力が身につきましたね。
仕事をする中で、こうした“この言語の橋渡しをする力”はすごく求められている能力なんだと思いました。ヘルプデスクは、普段はそこまで目立たない役割ですが、トラブルなどいざというときに頼られます。
そんなヘルプデスクが「英語ができないから対応できません」では大変なことになってしまうので、私が力になれているという実感を覚え憶えました。そういう需要があることをそれまでは知らなかったので、想像以上の可能性を感じました。
代表の大野 雅宏は海外に拠点を持ちたいという野望があり、あるとき社内にイスラエル拠点の立ち上げメンバーの募集があったんです。
当時の現場もすごく楽しかったし、居心地も良かったのですが、新しい環境に行きたくなってしまう性格なので、少し無謀かと思いながらも興味本位で手を挙げました。きっと選ばれないだろうと思っていたのですが、抜てきされてしまいました。
イスラエル拠点の立ち上げ──語学や海外在住経験を生かして
最初に代表に言われたのは、福利厚生のひとつである海外研修のプログラム作成でした。「自由につくっていいのか?」と聞いたところ、「好きにつくっていいよ」と任せてもらったので、のびのびとやらせてもらいつつ、現地で新規事業となる種を調査し、立ち上げの準備を行っています。
イスラエルの拠点を含め、弊社の海外拠点はいずれもひとりずつで担当しています。イスラエルでは私がまずできることから体験をしてみて、社内や社外にプログラムとして展開してけるかを判断していくという手順を踏んでいます。
最初のプログラムとしてつくったのはボランティア活動です。イスラエルには「キブツ」というコミュニティがあり、そこに住んでいる人は働く代わりに平等に衣食住が分配されます。世界中の18歳から35歳の若者が来て、2カ月から1年住むことができるんです。
そのプロジェクトに参加すると世界各国から来た人々と接することができ、言語の習得や練習にもなります。「日本人はよく働いてくれるから、歓迎するよ!」と言ってもらい、キブツでのボランティアプログラムができあがりました。
その他にも、社員向けに現地企業でのインターンシップを勧めています。今のところは日本とイスラエルのビジネスマッチングをしている現地会社にて、主にイスラエルのスタートアップの技術を学んで理解し、その技術を日本の関連企業に紹介していく作業を行います。
そのときに日本語と英語で資料やメールの翻訳をしてもらったり、関連企業の調査をしてリストアップをしたりと、さまざまなことをサポートしながら、国際的なビジネス体験ができる内容になっています。
2020年現在は、社外に向けてイスラエルと日本の文化交流に関するプログラムをつくろうと、現地企業や大学、学校と計画中です。
イスラエルは歴史柄、軍事技術が発達しており、今はその軍事技術が医療やモビリティ、農業などさまざまな業界に活用されています。中東のシリコンバレーと呼ばれるほどアイデアが盛んでイノベーションが起きやすく、世界的にも注目されています。
海外研修のお話をすると「なんでイスラエル?」と思われることが多いのですが、私は学びにあふれるすばらしい環境だと感じます。現在はコロナウイルスの影響により、なかなか現地でプログラムを実現することが難しい状況が続いていますが、今後はオンラインでもこの魅力を伝えていきたいですね。
特殊なキャリアを歩んだからこそ得た力。今後もチャレンジし続ける
近年、日本人とイスラエル人は交流があるものの、一般的にはあまりイスラエルのことが知られていません。お互いの文化に対する理解不足により、とくにビジネスの場においてコミュニケーションがうまくいかないとよく耳にします。
そういった問題から、なるべくイスラエル人と日本人の大学生や若い人をつなげて、文化理解を広げていき、それが近い将来の円滑なビジネスにつなげられたらと思っています。
こう思うようになったのはやはり自身の経験からです。私のキャリアは特殊ですが、海外経験とチャレンジ精神、そして人と出会うことで学んだことが多く、それがきっかけとなり、イスラエルに来ています。
それまではまったく興味のなかったことや新しいことにチャレンジすると、急激に視野が広がるんです。
ビジネスが動くと人も動くので、ビジネスが活発な国には、自然とさまざまな国からいろいろな特徴や技術を持った人たちが集まってきます。そうすると自分の住んでいる国だけでなく、他の国へも視野が広がるので、知らなかった世界を際限なく知ることができるのです。
こうしたまったく違う環境で、どう自分が行動していくかを知り、課題解決をすることで人は成長できるので、ぜひ新しい可能性を見いだしてほしいです。日本にいると思いつかない問題やありえない課題が出てくるので、その問題を解決したとき時に自信を身に付けることができると思います。ぜひそういったことにチャレンジして欲しいです。