飲食業界、海外経験を経て、ITの世界へ
オーストラリアとカナダでの滞在経験がある島貫さん。料理というスキルを学び、使いながら海外で生活し、そして学んだ英語を活かして、現在ではITの分野で仕事をされています。そんな島貫さんの人生の一部をお聞きました。
島貫 健太郎さん
オーストラリアにワーキングホリデーへ
初めての海外滞在経験はオーストラリアのパースでした。
職業が料理人だから色々世界を回りながらスキルを得られたら楽しいだろう、という思いがありました。初海外で不安もあったため、姉が既にパースへ留学していたこと、そして小学校の時に知り合ったELTの先生がパース出身のオーストラリア人だったこともあり、この国を選びました。
当時は「何とかなるだろう」と根拠のない自信で、ビザを取得し入国しましたが、すぐに貯金が尽きてしまった為、入国2週間でジャパニーズレストランで働き始めます。厨房に入り天ぷらや照り焼きチキン、親子丼や寿司など、外国人が日本食と想像するようなものを調理していました。お客さんの多くはオーストラリア人でしたが、キッチンはみんな日本人だったため英語をほとんど使わず、日本で働いているのとあまり代わり映えないように感じていました。
このまま働き続けても英語がわからないまま終わってしまうのではないかと思い、3ヶ月経った頃に語学学校へ通うことを決めます。
授業は朝9時から15時までありました。日本で行っている英語の授業とは違い、テキストを眺めて問題を答えるというよりは、アクティビティ中心の授業で、コミュニケーションを生徒同士や先生と取る授業でした。授業中、南米人って英語の上達が早いなと感じていました。彼らは文法や単語の間違いを恐れずに英語を堂々と話します。入学時は単語を並べただけで話している人もいるのですが、数か月後には街中で普通に英語を話しています。失敗を恐れずどんどんトライしていく姿勢が上達への近道なんだなと学べました。
学校や仕事が休みの日はみんなでバーベキューをしていました。オーストラリアの公園にはバーベキューができるコンロが設置されているので、気軽にみんなで楽しむことができます。
そんな日々を3ヶ月過ごした後、料理について英語で学びたいと思い、語学学校と提携している料理学校に進学をします。
自分のスキルに磨きをかけるため—オーストラリアの料理学校へ—
2年制の学校で最初の1年目は料理について学びます。仕込みから1皿の完成まで、レストラン業務の全てを学びます。日本で元々料理の専門学校を卒業していたので、英語で何を話しているのかは理解しきれない時は、周りの様子で次にやることを判断し授業についきました。
日本の料理学校では先生が生徒の前で説明をして、生徒たちが目の前にある食材を先生の指示のとおり調理を進め同じものを作り上げます。オーストラリアで受けた授業も始めはそのように基礎の説明を受けますが、後半は自由度が高くビジネス重視でした。例えば鶏というお題を与えられた場合、そこから自分たちで一から鶏料理のレシピを考えて作ります。レシピもただ自分の好きな食材で予算も気にせず作成するのではなく、材料費を確認して、お金を意識した上で作っていかなければなりません。食材や道具の細かな使い方、調理技術は日本の学校のほうが多く学べましたが、オーストラリアではよりビジネス的な観点で料理を学べたと思います。
2年目でホテルマネジメントについて学びます。従業員のマネジメントや法律関係、衛生管理などについて勉強をしました。料理と違い、座学ではより英語で苦労をしました。しっかり授業についていけるよう、学校で使っている教科書をとにかく読み込んで、自分の英語力を上げていく努力をしました。
特に英語力が向上したなと感じる時期が、法律関係の文書を読み、それについてレポートを書いていたころでした。現場で使えるようなものを作成する必要があったため、文法や単語をしっかり理解した上で書き進める必要があります。このアウトプットが私の英語力を大きく押し上げてくれたと感じています。
そうして2年間学校で学んだ後、日本に帰国をします。
次はカナダへワーキングホリデーに行こうと決めていたので、貯金し、半年後くらいに出国しようと考えていました。 料理の修業もしたかったので、イタリアンレストランで働き始めます。働いていく中でピザを極めたいという想いが生まれ、半年での出国予定が、結局3年の月日が経ってしまいました。
カナダにワーキングホリデーへ
カナダのワーキングホリデー先はバンクーバーと決めていました。理由は長閑そうで、過ごしやすそうな気候だったからです。
到着してからは、英語のブランクを克服すべく、語学学校に2ヶ月間通います。オーストラリアで最初に語学学校に通った時と比べると、自身の英語力が格段に上がったと感じました。
仕事先もすぐに決まります。Cactus Clubというカナダでも大きなチェーンレストランです。バンクーバオリンピック聖火台の隣に位置する店舗で、市内でも一番大きな店舗でした。アメリカ版料理の鉄人で優勝経験のあるRob Feenieシェフ監修の北米料理を作っていました。色々な国とのフュージョン料理を提供でき、勉強になったと思います。
大変だったことで印象に残っているのは、夜のピーク時に食洗機が壊れてしまって洗い物が全然進まなくなってしまったことです。総席数500近くのお店での出来事でしたので、すぐに洗い待ちのお皿が溜まっていきました。なんとか手洗いと在庫のお皿でお客様へは滞りなく対応できましたが、片付けが完全に終わったのは夜中の3時でした。
Cactus Clubはワーキングホリデーが終わるまでお世話になりました。
休みの日はアイススケートや食べ歩きをして過ごしました。バンクーバーには無料のアイススケートが街の中心にあります。カナダではアイスホッケーが国民的スポーツなので、スケートはカナダ人にとって親しみのあるスポーツなのだと思います。 食べ歩きではCioppino's Mediterranean Grillと呼ばれるイタリアンのお店が印象的でした。特にティラミスは今まで食べた中で一番良かったと感じ、苦さと甘さのバランスが完璧で今でも超える物に出会えていません。またTojoと呼ばれるカリフォルニアロールの生まれた日本食レストランにも行きました。滞在中久々の日本食がとても心にしみました。北アメリカで1番有名な日本食レストランと言われており、僕が伺った1週間前にRed Hot Chili Peppersのメンバーがお忍びで来ていたそうです。
日本に帰国し、就職し—ニュージーランドへ向けて—
そんなカナダのワーキングホリデーを終え、帰国後は一旦腰を据えてイタリアンを学びたいと考えていたため、知名度のある俺のイタリアンに就職をします。2年間みっちりと一流シェフの元で働けたことで、食材に対するこだわりや、調理技術を学ぶことができました。料理の勉強をしつつ、ワーキングホリデーを使える年齢のうちに再び海外に行きたいという想いがあったので、今度はニュージーランドへ行く計画を立てます。
生活の中で英語を勉強する時間を確保しながら貯金を増やす為、俺のイタリアンを退職後、派遣社員としてDEAN&DELUCAのキッチンで働き始めます。1年程で大体準備が整った頃、コロナが流行り始め、その影響で派遣契約が終了してしまいました。
丁度出国前の英語力強化の為羽田空港でアルバイトに切り替えるタイミングでしたので契約終了の問題はありませんでした。ですが、やはりコロナの影響で羽田空港もお店をオープンすることができず、内定はしていましたが結局一回も出勤することはありませんでした。
そしてニュージーランドへのワーキングホリデーも頓挫してしまいます。
そこから数ヶ月、コロナが少しだけ落ち着いた頃にオイスターバーに就職をします。牡蠣が好きだったことやイタリアンの勉強にもなるなと思っていたことが理由です。
ただ、人員管理や店舗管理を行なっていく中、段々と飲食業界について疑問を持つようになりました。
料理自体は好きで楽しいと感じていましたが、アルコール提供できない事や営業時間短縮により売り上げが立たず、結果として人員削減もあり、思うように店舗営業ができませんでした。 コロナという状況下もいつ終わるか分からず、先が見えないと感じ、将来の為別業界に移ることを考え始めました。そんな中で、候補に上がったのはITでした。
コロナ禍で見えた新しい道—IT業界へ—
私が入社したのはアレックスソリューションズというITの会社です。英語を活かしてITの仕事ができるということだったので、今までやってきたことを活かしつつ、新しいITという分野に挑戦できるということが決め手でした。
最初の仕事は通信会社に常駐し、携帯無線機関係の仕事をしていました。システムの運用・保守に関わる業務をしており、システムのログの取得や問題が生じた際の対応を行います。
大変だったことは配属されて数ヶ月、3人1チームでやる仕事で、私以外の二人が辞めてしまって、急にリーダーになり、未経験の新しい2人を加えた3人チームで仕事に取り組まなければならなくなってしまったことです。
それでも周りの方々のサポートもあって、なんとか乗り切ることができました。困難な状態ではありましたが得られたものは大きく、速いスピードで成長することができたのではないかと感じています。
1年ほど過ごし、現在のプロジェクトへ移動をします。
同じ無線機に関わる仕事ですが、今度は商用展開する前の検証を行うチームに入って仕事をしています。以前よりもLinuxやネットワークの知識や技術が求められるようになり、自分がレベルアップしていっているなと感じています。
この先はもっと速いペースでITスキルを身に着けていきたいです。飲食業で12年の時を過ごしたため、ITを新卒から生業にしてきた方々と比べ、知識、技術において大きな差があるため、追いつけるように頑張りたいです。
海外で様々な経験をしてきましたが、そこで得た物は今も活かされていると思います。自身の英語力はもちろん、様々なことに寛容になれるようになったと感じています。日本人同士もそうですが、人種が違うと物事に対して取り組む姿勢が違かったり、時間に関しての感覚であったりも違うので、自分の常識が通じません。「人には人の考え方があり、思うようにはいかない」と、様々な違いに対して良い意味で諦めが付くようになったなと思います。
海外へ留学やワーキングホリデー、ボランティアなどを考えている人たちにアドバイスをお願いします
最初はわからないことばかりだと思いますが、実際に行ってみて体験していけば自ずと答えは見えてきます。命に関わること以外の失敗は大体どうにかなると思いますので、失敗を恐れずにチャレンジしてみると良いと思います。