英語に導かれて──海外生活7年、そして日本でのキャリア再スタート
カナダでの7年間、英語や仕事、暮らしを通して「海外で生きる自分」を築いた中根さん。しかしビザの問題で突然帰国せざるを得なくなり、悔しさと虚しさを抱えたまま再スタートを切ることに。将来への不安も大きい中、それでも前を向きながら、日本で新しいキャリアを模索しました。
中根淳さん
英語との出会いと、始まり──ニュージーランドの旅


小学校6年生のときに家族で行ったカナダ旅行が、英語を意識する最初のきっかけでした。旅行中、添乗員さんが母に「中学生からカナダに来れば、すぐ英語を話せるようになりますよ。」と話していたんです。その言葉を聞いて、英語や海外にはチャンスがあるんだな、と子どもながらに感じました。
当時、実際に移住の話は実現しませんでしたが、「英語ができれば世界が広がる」という感覚は残っていました。ただ、その頃はまだ漠然とした憧れで、動き出すのはもう少し先。今思えば、あの旅行は「英語という扉の鍵穴を見つけた瞬間」のようなもので、実際に扉を開けるタイミングは後になって訪れることになります。
そして、その「扉を開ける」最初の行動が、23歳のときに行ったニュージーランドでした。きっかけはスノーボードで、「日本が夏のときに滑れる場所に行きたい」という気持ちでしたが、深いところでは、どこかで海外への興味がくすぶっていたのかもしれません。
最初の1ヶ月は、日本人の友人とスキー場近くの宿に泊まりながら、毎日のように山に通っていました。でも、本当に面白くなったのはその後です。友人と別れてからの1ヶ月、国内バスを乗り継いで島中を1人で回ったバックパッカー生活。これは「一番楽しかった」と今でも言い切れる経験です。
なぜ1人旅に切り替えたかというと、せっかく来たのに1ヶ月だけで帰るのがもったいなかったこと、そして何より「海外の生活に溶け込みたい」という気持ちが強かったからです。日本人と一緒だとどうしても日本語で過ごせてしまう。それを避けて、自分を英語だけの環境に放り込みたかったんです。
実際、宿探しも移動も全部1人。英語は「Can I have 〜?」レベルでしたが、それでも通じた瞬間の嬉しさが少しずつ自信になっていきました。あの感覚こそが、海外の面白さを肌で感じた最初の体験であり、本格的に英語にはまっていく入り口になりました。
ワーキングホリデーから始まった、カナダの7年間

ニュージーランドの翌年、ワーキングホリデーでカナダへ。最初の数週間はバンクーバー、そのあとバンフという町に腰を落ち着けました。お土産屋さんで働いていて、店では英語も日本語も飛び交っていましたね。
ワーキングホリデー中の生活は、とにかく心地よく「満たされている」と感じるものでした。カナダの人々は肩肘張らず、自然体でフランク。それでいて礼儀が欠けているわけではなく、ちょうどいい距離感とカジュアルさがありました。英語でも自分の意見を言いやすく、友人でも初対面でも自然と会話が生まれる空気があって、「日本とこんなに違うのか」と驚くほど、生活しやすさを実感していました。
そして、ワーキングホリデー1年の期限が来たタイミングで「まだ帰りたくない」と思ったんですよね。ここで得た英語の感覚を手放したくなかったですし、もっと英語でコミュニケーションを取りたい気持ちも強くて。カナダという国も好きでしたし。そのまま学生ビザに切り替えて滞在を延長しました。
学生ビザを取ってすぐに、バンフから北へ400キロほど離れた街、エドモントンへ移りました。日本人がほとんどいない場所です。思い切って環境を変えたのは、もっと英語に浸るため。エドモントンではカナダ人学生ばかりが住むシェアハウスに入りました。彼らと一緒にご飯を食べたり、飲みに行ったり、生活を共にするなかで、自然と英語が体に染みこんでいった感じがありますね。
学生としてはESLに入学し、2年ほど通いました。宿題も授業もクラスのレベルが上がるにつれて難しくなり、「これは簡単にはいかないな」と。でも、母が学費を出してくれていたので、頑張らない理由がなくて。あのころが人生で一番、机に向かった時期かもしれません。
ESLを卒業したあと、看護系の専門学校に進みました。これは、看護が好きだったというより、移住へのルートとして現実的だった、というのが正直なところです。人手不足の分野でもあるし、就労ビザにもつながるので。始めてみると難しさもありましたが、患者さんへの寄り添い方など、自分に合っている部分も多くて、周りから評価していただけたのは大きな励みでした。
専門学校卒業後は、1年間の就労ビザを取得して病院で働くことを決めました。正直、楽な仕事ではありませんでしたが、不思議と嫌ではなかったです。仕事そのものが好きだったこともありますし、多国籍のスタッフと一緒に働く環境が、とにかく刺激的だったんです。
その頃は、仲良くなったカナダ人の友人が買った家のベースメントに住んでいて、家賃も安く、居心地も良くて、本当に「現地の生活に溶け込んだ」という感覚がありました。日本語を話すのは、たまに母に国際電話をするときくらい。ネットで見るものも全部英語で、意識しなくても英語漬けの日々でしたね。
そして、ビザの更新を目指して挑戦したのが「ケアギバープログラム」でした。住み込みで患者さんのケアをするプログラムで、これを通してカナダに残ろうとしていたんです。でも、1年立った頃、ビザの手続きを任せていたエージェントのミスでビザの更新ができず。あの瞬間は本当にショックで、7年間積み重ねてきたものが、一気に崩れてしまった感覚でした。
カナダから日本へ──悔しさを抱えながら踏み出した再スタート

悔しさも虚しさも全部まとめて抱えたまま、日本に帰るしかありませんでした。帰国したのは31歳の頃。当時、看護の道はカナダと比べると、給与や待遇が全然違っていて、このまま同じ道を進むのは難しいなと感じました。ひとまず、高校の先輩がやっていたイタリアンレストランでウェイターとして日々をつなぐことに。でも心のどこかではずっと「この先どうすんだ……」というモヤモヤがつきまとっていて。並行して就職活動をしていました。
そんな中で見つけたのがアレックスソリューションズというIT企業の求人。海外経験や英語を活かせるという言葉が目に止まって、気づいたら応募していました。当時33歳。その頃はすでに結婚もしていて子どもも生まれていたので、「ここからちゃんとやらないといけない」という覚悟が強かったです。IT業界は完全に未経験でしたが、むしろそれがプラスに働いたというか、知らないからこそ素直に飛び込めた気がします。「最先端の世界に自分も関われるかもしれない」という前向きなワクワクの方が大きかったですね。
研修を終えて最初に配属されたのは大手電機メーカー。通信機器の保守業務からキャリアが始まりました。英語のマニュアルを読み込んだり、メーカーと顧客の間で調整したり、緊張感のある日々が続きました。その後は大手通信会社でCiscoのL3スイッチの検証業務に携わることに。このときは「家族がいる、背水の陣だ」という思いで必死でしたね。毎日が勝負みたいな感覚でしたが、その仕事ぶりを上司に評価してもらえたのは大きな自信につながりました。
しばらくすると、畑違いの伝送装置の仕事を打診されます。伝送装置の監視ネットワークの設計や導入などを進めていくうちに、以前やっていた経験がふとした瞬間に役立つことがあって、「今まで積み重ねてきたことって、ちゃんとどこかで活きるんだな」と実感しましたね。
結果的に、このIT企業にはおよそ6年在籍することになります。その後、一度Huawaiに転職したものの、自分の中で違和感があり、数ヶ月で退職。そこから別ルートで、以前お世話になっていたNokiaのプロジェクトに戻ることになり、そこでの働きぶりや姿勢を評価していただいて、2020年ごろにNokiaの正社員として声をかけてもらいました。
今はNokiaで伝送装置の保守業務を担当していて、大手通信会社の案件に携わっています。技術と経験が価値になるこの世界。このままエンジニアとして残りのキャリアを歩んでいくつもりです。
アレックスソリューションズでチャンスを得て、仕事ができている現状に感謝を忘れないように。
海外へ行きたいと思っている人へアドバイスをお願いします

まず一つ目は、「迷っているなら、間違いなく行くべきだ」ということです。海外に行くかどうかの分岐点に立った時、人はつい足踏みしてしまうものですが、そこに迷いがあるなら「ぜひ行ってください」と言い切れます。行かなければ、昨日と同じ日がそのまま明日も続いていくだけです。でも一歩踏み出せば、景色は確実に変わります。
もう一つ、大きなポイントがあります。「やったらどうしよう」ではなく、「やらなかったらもったいない」という視点で考えてほしいんです。多くの人は、失敗した時のことばかり気にします。でも実際のところ、本当に怖いのは「やらなかったことによる損失」なんですよ。もし心の中で「今、ちょっとやってみたいな」と思ったなら、その瞬間に動いたほうが絶対にいいです。
そして、たとえ海外に行ってみて「合わなかった」「無理だった」と感じて日本に帰ってくることになっても、それはそれでいいんです。やってみたからこそ分かることがあるし、その経験は必ず次につながります。人から見れば言い訳に聞こえるかもしれませんが、本人にとっては大きな財産ですし、「やった経験」は誰にも否定できません。
また、変化というのは向こうからやって来るものではなく、自分から掴みにいくものです。ちょっと違うことに挑戦してみたり、新しい環境に身を置いてみたり。そうやって意識を変えることで、出会える人も広がり、見える世界もぐっと変わっていきます。
最後に、日本の一般論に縛られないでほしいということです。「日本の常識=世界の常識」ではないんです。海外に出ると、それが痛いほどよくわかる。日本だけを見ていると「これが当たり前だ」と思い込んでしまいがちですが、外に出ると「違いってこんなにあるんだ」と素直に感じられるようになります。 だからこそ、迷っているなら、ぜひ一歩を踏み出してほしい。結果がどう転んだとしても、その経験は必ずあなたの力になります。

