新聞社という地で経験を活かす—ITと英語を組み合わせ—
毎日新聞社のデジタル推進本部ソリューション開発センターにて、プロデューサーとして自社運営のデジタル化を進めている今井敏さん。大学卒業後に勤めた会社での経験がきっかけとなり、カナダへ。海外生活を経て、現在の仕事に至るまでの変遷、そして将来の目標について語っていただきました。
今井 敏さん
外国籍の同僚が英語を学ぶきっかけに—カナダへ—
もともと私は大学で建築を学んでいましたが、当時の建築業界は景気の煽りを受けて就職が厳しかったため、比較的就職の間口が広かった、自分にとっては真新しい業界であるITの世界に入り、開発の現場で4~5年を過ごしました。しかし、当時は労働時間がとにかく長く、朝早く出勤し夜遅く帰宅するだけという日々を過ごしていたので「いつかここから抜け出してやる」という反骨精神がありました。自分の学歴にも負い目のようなものを感じていたので、それを払しょくするためにスキルを身に付けようと、必死になって勉強に打ち込んでいました。
また、仕事の同僚には海外から日本に来て、母国語ではない日本語で戦っているというハンデがあるにもかかわらず、ITスキルは自分と同じかそれ以上という方々が多く存在し、「私は母国語使って働いているのに」という悔しさが滲み、その切実さに拍車がかかったように思います。
ITの業界に入ってから数年して小さなチームのリーダーを任されるようになり「自分はもっとやれるはず」という思いが強くなってきた頃、さらに上を目指し自分を高めるための新たなスキルとして同僚達と同様に語学を学ぶ道を選択しました。
語学を学ぶための渡航先としてカナダを選んだのは、単純ですが「オーロラが見たい」という子供の頃からの夢も叶えたかったからです。
入国当初はバンクーバーで英語の勉強をしていました。勉強と言ってもテキストに向き合い続けるだけということではなく、積極的に人とコミュニケーションを取ることを意識していていました。カナダのような先進国では買い物や交通などのシステムが日本とほとんど同じなので極端な話、無理に会話をせずとも生活ができてしまう環境です。そのため積極性のギアを一つ上げるような気持ちで、自分から人と話す機会を増やすようにしていました。
例えば、喫煙所でおじさんに煙草を奢って、何気ない会話をしたり、図書館で近くに座っていた人と仲良くなって、お互い席を離れる時に荷物を見張りあったり(バンクーバーでは置引きが多いため)、そんな日常の何気ないコミュニケーションを大事にしていました。もちろん現地の人だけでなく、いろんな国から英語を学びに来ている人たちと楽しく会話することも大切だったと思います。
今まで培ったITの知識を活かしながら英語を学び、そして成長し
カナダだからできることをしたいと仕事を探していましたが、ハンバーガーチェーンですらなかなか採用されず、続く不採用の知らせにショックを受けました。しかし、20代という貴重な時間や貯めてきたお金のすべてをここにつぎ込んだ、という事情もあり、手ぶらで帰るわけにはいかない、という気持ちであきらめずに面接を受け続けた結果、イエローナイフの地に辿り着きます。
イエローナイフは世界でもオーロラを見ることができる有数の地。「オーロラが見たい」というかねてからの夢を、ついにここで叶えることができました。
オーロラのツアー会社に住み込みで働くことになったのですが、まだまだ英語が得意というわけでもなかったので、言葉について文句を言われることも沢山ありました。それでも夜な夜な業務改善と称してExcelでマクロを組んだりしてオフィス内の業務効率化を提案し実現したところ、「お前は天才だ!」とすごく喜ばれて、やっと認めてもらえたと感じたことを覚えています。
当時カナダでG8(主要国首脳会議)が開かれていたので、それに関わるポーターの仕事だったり、日本から来たテレビ番組の取材の手伝いなんかをしたり、有名な観光地ならではのちょっと変わった体験もできました。
日本に帰ってきてからはカナダで培った英語力を活かそうと、「英語で働く」というキーワードを検索にかけて就職活動をし、英語とITを強みとしているアレックスソリューションズという会社に辿り着きました。そこでは、日本産スマートフォン関係の開発に取り組んでいる会社に常駐し、海外の関連会社と連携を図りながらブリッジエンジニアとして働きました。オフショアの開発マネジメントに関わっていたので、英語やITの知識はもちろん、管理という面でも能力を求められることがあり、そこで様々な能力を養うことができたのだと思います。
毎日新聞社への入社のきっかけ、そして将来の目標
前職で縁あって、毎日新聞社に海外製業務支援ツールを導入するお手伝いをする機会があり、その際に当時のプロデューサーから熱烈なアタックを受け、入社をする運びとなりました。
近年、インターネットやスマートフォンの普及によって、いつでもどこでも手軽に情報を入手できるようになり、結果的に業界全体がそうですが、紙の情報媒体は全体の発行部数が減ってきています。このため、毎日新聞社でも、”新聞紙”という媒体だけにこだわらずにスマートフォンをはじめとする紙以外の多様な媒体を通じて情報を発信する会社に生まれ変わろうとしています。そのため当時から会社全体でデジタルシフトを進めており、社としてデジタル技術力の底上げをしようと動いており、私もその一端を担う人材へ、という期待から採用頂くこととなりました。
先ほどの通り、今日では新聞のありようというものが紙からデジタルに変わってきています。そして、私自身がその変革を推進する部隊に携わっているので、後々になって「毎日新聞社はデジタルシフトを成功させた」と言われることが一番の目標です。
そしてITというものはとんでもない速度で進化していくものなので、勉強を続けて、なるべく最前線で戦っていける期間を延ばすということを頑張っていきたいと思っています。 また年齢的にも後進を育てていかなければならないと感じています。これからのタスクの半分は”人を育てる”という役割にしていく必要があると考えています。私がいろんなことを経験できたように、若い人たちがうまく道を進めるようなサポートをしていきたいと思っています。
海外へ留学やワーキングホリデー、ボランティアなどを考えている人たちにアドバイスをお願いします
IT化が進み、オンラインでのコミュニケーションが容易になりました。そのため海外に行くことなく簡単に外国語が学べる環境が出来ていると感じます。それでも、実際に海外に飛び出すことで、その時にしか身に付かない生の体験を通しての判断力や行動力があり、画面上では得られない経験をすることができます。経験談ひとつとっても財産になり、沢山の引き出しが増えて、自分の人生を豊かにしてくれていると思います。また、私が受け入れてもらったように、日本に帰ってきても学歴や職歴にこだわらず、海外での経験を評価し、受け皿となってくれるような会社もあります。ですから心配はしすぎずに思うように自分の人生の時間を使ってほしいと思います。