異国の地、日本で見つけた、私の生き方

中国で育ち、日本のアニメをきっかけに日本に憧れを抱いた城さん。数々の挑戦と選択を重ねながら、自分の居場所を日本に築いてきました。異国で生きる不安や迷いと向き合い続けた先に見えた、「日本で生きる」という決意。その歩みを、振り返ります。

城 優綺恵さん

日本への憧れと、留学までの道のり

▲留学生時

中国で生まれ育った私が日本に興味を持つようになったきっかけは、子どもの頃に親しんでいた日本のアニメの影響でした。「ちびまる子ちゃん」や「ドラえもん」は中国でも非常に人気があり、当時は純粋に「面白い」と感じながら見ていました。特に印象深かったアニメ、「犬夜叉」や「NARUTO」に触れるうちに、次第に「日本とはどんな国なのだろう」と関心を持つようになっていったんです。気づけば、アニメを通して日本という存在が、私の中で少しずつ身近なものになっていました。

中学生の頃、隣の席のクラスメイトから教えてもらった、「ありがとうございます」や「はじめまして、どうぞよろしくおねがいします」といった基本的な言葉が、日本語との最初の出会いでした。今でも発音をアルファベットに書き直し、何度も練習してようやく暗記したことをよく覚えています。その経験をきっかけに、「もっと話せるようになりたい」という想いが自然と芽生えていきました。

大学では日本語学科を専攻し、4年間みっちり学びました。文法や読解、リスニングなど基礎は身についたものの、授業はインプット中心。実際に話す機会はそれほど多くありませんでした。日本人留学生と交流する場も限られていて、「話せるようになりたいのに上達しない」というもどかしさを、いつも抱えていましたね。

大学3年生になる頃、日本に留学したいという気持ちがはっきりしてきます。ただ、もともと内向的な性格。新しい環境に飛び込むことへの不安も強く、「失敗したらどうしよう」と考えては立ち止まっていました。

そこで、すぐに留学するのではなく、まずは社会に出て経験を積もうと考えたのです。資金を貯める必要もありましたし、自分にもっと自信をつけたいという想いも大きかったです。

大学卒業後に入社したのは、設立されたばかりの国際貿易会社でした。社員は社長と私の2人だけの小さな会社。人事、総務、財務、法務まで、ほとんどすべての業務を担当していて、毎日が手探り状態。

分からないことだらけで、失敗することもありましたが、その経験を通して、仕事に対する責任感や考え方は、大きく変わったと思います。2年間働く中で、会社は少しずつ成長し、社員も増えていき、自分なりに周りを見る余裕も出てきました。生活も安定し、仕事にもやりがいを感じていたため、日本に行きたい気持ちがだんだんと薄れていってしまったんです。ある日突然、「このままだとダメだ、若いうちに日本に行かないと後悔する!」と思うようになり、仕事を続けながら、日本留学の準備を少しずつ進めていきました。

日本への挑戦と決断

▲石川県滞在時
▲金沢駅雪吊り

そして24歳のとき、来日しました。ずっと心の中で描いてきた夢を、ようやく形にできた瞬間だったと思います。

海外での生活は初めてで、何を持っていけばいいのかも分からず、インターネットで「日本 生活 必需品」などと検索しては、情報を集めていました。準備はほとんど手探り状態。最終的には、大きなスーツケースをいくつも抱えて、日本へ。

金沢大学大学院に進学し、人間社会環境研究科の特別支援教育コースに入学しました。最初の1年間は研究生として基礎を学び、その後、修士課程の院生として2年間在籍したので、合わせて3年間、金沢で勉強したことになります。

この分野を選んだ背景には、自分自身の経験があります。幼い頃、周囲の人の話し方を真似した影響で、吃音の話し方になってしまったんです。中国にいた頃は、原因も分からないまま長く悩んできました。「同じように困っている子どもたちの力になりたい」「吃音についてもっと深く知りたい」そんな思いが重なり、この道を選んだのです。

日本語については、中国で日本語学科を卒業していたこともあり、「ある程度は通用するだろう」と考えていました。実際、当時の指導教授や主要学科の先生方はとても優しく、留学生である私に配慮してくださり、話すスピードをゆっくりしていただいたり、分からないところを何度も丁寧に説明していただいたりしました。しかし、日本語や専門知識にはまだ理解が追いつかない部分も多く、分からない内容を残したくなくて、帰宅後は教科書やノートを何度も見返す日々が続いていました。

一方で、大学学部の日本人学生と一緒に受ける共通授業では状況が大きく異なりました。授業は大人数で進み、先生や学生の話すスピードも非常に速く、「こんなに速いのか」と驚いたことを覚えています。毎回、話についていくのに必死で、メモを取るだけで精一杯でした。

さらに、生活費を支えるため、大学近くのイオンのスーパーで早朝アルバイトにも取り組んでいました。勤務は朝5時から。眠気や寒さに耐えながら、学業との両立を図る日々です。それでも、職場の先輩たちは温かく、その支えがあったからこそ、「今後、日本で働くことができればいいな」と思えるようになっていきました。

こうして勉強と生活に向き合う中で、将来についても現実的に考えるようになります。大学院進学当初は、専門的な支援の分野へ進むことも視野に入れていましたが、学びを深めるほど、この道の厳しさが具体的に見えてきます。外国人が日本で言語聴覚士などの国家資格を取得するハードルは高く、制度や条件の壁は想像以上でした。「本当にこの道を進み続けるべきなのか」自分に問いかける時間が、次第に増えていったのです。

悩みに悩んだ末、日本で一般企業への就職を目指すという選択に。誰かに決められた道ではなく、自分なりに考え抜いたうえで出した結論だったからこそ、迷いはあっても、前を向いて進もうと決めたのです。

働く中で見えてきた、日本での未来

▲現在

大学院を卒業した後、石川県にある電子機器メーカーに就職し、日本本社、海外ベンダーをつなぐ役割を任されました。二つの拠点を結ぶ、いわばパイプ役のような仕事です。製品資料の作成や進捗管理、トラブル対応など、業務は多岐にわたり、毎日がとても慌ただしかったですね。

特に印象に残っていることは、日本のものづくりに対する姿勢です。品質に一切妥協せず、細部までこだわる姿を間近で見て、「仕事とは、ここまで本気で向き合うものなんだ」と強く感じました。

その会社で働いた4年間、振り返ってみると、社会人として日本のビジネスマナーや考え方を基礎から教えてもらった、大切な場所だったと思います。

そして私の人生にとって大きな転機となる出来事がありました。日本でこれからも長く暮らしていきたいと考え、帰化申請を行いました。正式に日本国籍を取得したことで、自分の中で一つの区切りを迎えたような感覚がありましたね。

この決断を機に、「一度は大都市で生活してみたい」という想いが強まります。そして拠点を東京へ。

新しい街でどんな仕事に挑戦するかを考えたときに思い浮かんだのは、前職での経験でした。エンジニアの方々と一緒に働く機会が多く、専門的なやり取りを間近で見聞きする中で、自然とIT分野への関心が高まっていたのです。

もっとも、私は文系出身で、ITについてはほぼ未経験。不安がなかったと言えば、やはり嘘になります。それでも、未経験から挑戦できる環境を求めて情報を集め続けた結果、知人の紹介をきっかけに、現在のITの会社と出会うことができました。

入社後、最初の現場では2か月間の短期サポート案件に携わり、顧客情報のシステム入力業務を担当しました。マニュアルに沿って操作を行う業務で、正確性が求められる一方、比較的シンプルな作業内容でした。

その後、新たに配属された現場では、国内顧客向けネットワークの監視運用保守業務を担当しています。現場に密着した業務に携わる中で、一つひとつ向き合いながら経験を積み重ねています。

今後はIT関連の資格取得にも積極的に取り組みながら、自分の強みをさらに磨き、より幅広い仕事に挑戦できる力を身につけていきたいです。

海外へ行きたいと思っている人へアドバイスをお願いします

これまでの経験を通して、私が強く感じているのは、「やりたいことがあるなら、若いうちに思い切って挑戦したほうがいい」ということです。日本への留学も、不安はありましたが、結果として本当に来てよかったと思っていますし、後悔はまったくありません。

将来のことは誰にも分かりません。それでも、失敗を恐れて何もしないより、勇気を出して一歩踏み出すことのほうが、きっと自分の糧になるはずです。たとえ困難にぶつかったとしても、「この道を選ばなければよかった」と後ろ向きになるのではなく、自分で選んだ道だからこそ、最後まで一生懸命向き合ってほしいと思います。