フィリピンで芽生えた問いから、青年海外協力隊へ。そして世界と地域をつなぐキャリアを目指して
中学生の頃に訪れたフィリピンでの体験をきっかけに、鈴木さんの関心は「海外」や「国際協力」へと向いていきました。大学で異文化を学び、企業勤務を経て青年海外協力隊としてペルーへ。現地での試行錯誤や、コロナによる中断、帰国後のキャリア転換など、決して一直線ではない歩みを重ねてきました。そんな鈴木さんのお話をご紹介します。
鈴木育未さん
すべてはフィリピンで見た光景から始まった

海外に興味を持つようになった原点は、中学生の頃の家族旅行です。行き先はフィリピン。マニラの街を走る車に乗っていたとき、当時13歳だった私と同じくらい、あるいはそれより幼い子どもたちが、お金や食べ物を求めて声をかけてきたんです。その光景に、かなりの衝撃を受けました。
自分はこれから、バカンスを楽しむために海のきれいなセブ島へ向かう。一方で、目の前には路上で生活するストリートチルドレンがいる。そのあまりにも大きなギャップが、強く心に残りました。この経験が、「海外」や「国際協力」という言葉を、自分ごととして考えるきっかけになったと思います。その後、高校や大学を選ぶ際にも、このときの記憶がずっと軸にありました。
中学生の時、社会科の授業を通してODAの開発協力、青年海外協力隊の存在を知り、かつてフィリピンで出会った子どもたちの力になれる方法があると、国際協力への関心が一気に具体的なものになりましたね。
大学では外国語学部・交流文化学科に進学し、文化人類学を専攻しました。正直なところ、当時は英語が得意だったわけではありません。ただ、将来海外で活動することを考えると、避けて通れないスキルだと感じ、あえて外国語学部を選びました。異文化や異なる価値観を持つ人々について学ぶ中で、国際協力への関心がより具体的になり、国際NGOや外務省、青年海外協力隊といった進路を意識するようになりました。特に、フィールドワークを重視する文化人類学の研究手法と、現地に深く入り込んで活動する青年海外協力隊のスタイルには強い共通点を感じていました。
大学卒業後は飲料メーカーに入社し、営業職を第一志望として採用されました。汎用性の高いスキルやコミュニケーション力を身につけたいという思いに加え、将来海外に出るための資金を貯めるという現実的な理由もありました。ただ実際には、海外商標を扱う知的財産部に配属され、英語を使った実務を約3年間経験することになります。想定外の配属ではありましたが、入社当初から決めていた3~5年で海外に出るという目標に向けた準備期間として経験を積み、目標としていた3年を一区切りに青年海外協力隊へ応募しました。
この「3年」というのは、「石の上にも三年」という考えもありましたし、何より親に対して、経済的に自立した状態で海外に行くという姿勢を示したかったんです。そしてちょうど会社で担当していた大きなプロジェクトにも一区切りがつき、「今が動くタイミングだな」と。
青年海外協力隊 ― ようやく掴んだ手応えと、突然の中断 ―

応募自体は、在職中から動いていました。というのも、青年海外協力隊の選考って、けっこう時間がかかるんですよね。書類審査があって、健康診断があって、面接があって……選考が半年はかかるのです。最初の応募は不合格でしたが、そこから再応募して、結果的に合格までに約1年。ようやく切符をつかんだのが26歳で、任期は2年間の予定でした。
派遣先をペルーに選んだのも、国ありきで決めたというより、やりたいことがそこにあったからです。青年海外協力隊では、現地で担う職種を約120以上の中から選ぶのですが、私は「コミュニティ開発」を希望しました。ペルーではコミュニティ開発の中で観光分野の要請があり、大学時代に観光を学んでいた自分の知識が役立つのではないかと感じたんです。
派遣前には、日本で約70日間の訓練を受け、スペイン語の基礎を叩き込みました。ペルー到着後も、最初の2週間は首都リマで語学研修です。ただ、任地はリマから離れた地方。役場に配属されたものの、現地では「何をしに来たの?」と聞かれるところからのスタートでした。最初はセミナーに同行したり、配属先のイベントで手伝えることを探したり、とにかく顔を出し続ける日々です。正直、最初の3ヶ月は言葉も通じず苦労しましたが、半年ほど経つと、生活に困らない程度にはスペイン語で意思疎通ができるようになっていました。
転機になったのは、役場主催のセミナーでした。講師が30分以上遅刻し、場が完全に止まってしまったんです。その場で急遽、日本紹介のプレゼンをして時間をつなぎました。結果的にこれがカウンターパートと呼ばれる、一緒に活動していた現地役場職員に感謝され、それまで私を「スパイが来て変なことをしているんじゃないか」と言わんばかりの態度で、何を提案しても「君が勝手にやってね」だった指示が、「一緒にやろうよ」に変わりました。主語が「You」から「We」になった瞬間で、信頼関係が構築された感覚があり、とても嬉しかったです。
ただ、その矢先に現実を突きつけられます。ペルーでは政権が変わると、役場の人員も一斉に入れ替わることが珍しくありません。ようやく信頼を築いたカウンターパートも、解任されてしまいました。「また一からか」と思ったのが正直なところです。
それでも活動が少しずつ形になり、農家向けのワークショップでは「次もぜひやってほしい」と声をかけてもらえました。手応えを感じた、まさにその直後です。コロナの感染が確認され、数日で国がロックダウン。帰国指示が出ました。任期は1年に短縮され、特別便で日本へ戻ることに。現地の人たちには直接会えず、「また戻るから」とチャットで伝えるのが精一杯でした。
オンラインでの活動、そして再びペルーへ

帰ってきた日本は緊急事態宣言の真っただ中で、人と会うこともままならない状況。それでも、ペルーとのつながりは切りたくないと考えていました。現地の人たちもロックダウンでかなりフラストレーションを抱えていると聞いていて、「今、自分にできることは何だろう」と考えた結果、オンラインでのプロジェクトを立ち上げることにしました。幅広く告知し、ペルーに住むこどもを中心に集め、オンラインでつなぎ、ラジオ体操をしたり、「手を洗おう」「マスクをしよう」といった感染対策の運動や、ダンスを一緒に踊ったりしましたね。
また、志半ばで帰国せざるを得なかった青年海外協力隊の同期たちが、思いを吐き出せる場も必要だと感じ、オンラインでの活動報告会も企画しました。誰かとつながっていないと、気持ちが折れてしまいそうな時期でしたから。
オンラインの活動を始めて3ヶ月ほどたった頃、福島の農家の知り合いから「東京で何をしたらいいかわからないなら、福島に来てキュウリ手伝ってくれない?」と声をかけてもらいました。もともと農業や地方での暮らしには興味があったので、「行きます」と返事をしました。一時的なつもりで移り住んだのですが、気づけば2年間、福島で働くことになります。コロナが収束しない中でも、学べることは多く、「今はここで力を蓄えよう」と思っていました。
その後、ワクチン接種が進み、JICAから「3回接種していればペルーに戻れる」という連絡が入り、2回目のペルー派遣へ。ただ、現地は選挙の影響で行政スタッフが総入れ替えになっており、活動はまたゼロからのスタートでした。
4ヶ月という期間の中、家計簿ワークショップや、農園を活用したアグリツーリズムの企画を一気に走らせました。本当は半年以上滞在したかったのですが、当時はパートナーとの遠距離という状況もありましたし、年齢や今後のキャリアのことも現実的に考えなければいけない時期でした。悩んだ末に、滞在は4ヶ月と絞ることに。結果的には、その「短さ」が背中を押してくれた気がします。「全速力で走り抜けなきゃ」と、自然とスピード感が生まれました。限られた時間だったからこそ、迷わず動けた。今振り返ると、それはそれで良かったと思っています。
帰国後に描いた、次のキャリア

4ヶ月間の活動を終えて帰国した後は、「そろそろ日本で腰を据えて働こう」と気持ちを切り替えました。その中で改めて考えたのが、これからのキャリアの軸です。
いままで培ってきたコミュニケーション力や異文化理解は、自分の強みではあります。ただ一方で、それだけでは企業の中で評価されにくいと感じていました。そこで必要だと思ったのが、職種や場所に左右されにくい“コアスキル”です。そうして選んだのがIT業界でした。
新たに入社したITの会社では、最初、グローバル企業向けの運用保守の現場でサービスマネージャーを担当しました。24時間365日の体制で夜勤もあり、英語でのやり取りが日常茶飯事。ネットワークの知識を増やすために、資格勉強にも励みましたね。
その後、ネットワークの運用設計・構築の現場に移り、現在はPMOとして、プロジェクト全体の進行管理や関係者間の調整、課題整理などを担当しています。技術とビジネス、現場とマネジメントの間に立ち、プロジェクトが円滑に進むよう支える役割です。
将来的には、ITスキルを軸にしながら、地域創生や観光といった分野にも関わっていきたいと考えています。スペイン語や英語を使い、海外と日本の地域をつなぐような仕事にも挑戦したいですね。海外での経験を通じて、想定外の出来事にも動じなくなったことは、今の仕事でも大きな支えになっています。
海外へ行きたいと思っている人へのアドバイス
もし「海外に行ってみたい」という気持ちが少しでもあるなら、迷わず行ってみる、をお勧めします。よく言われることですが、今が一番若い。これは本当にその通りで、「行きたいと思った日」が吉日です。年齢を重ねるほど、仕事や家族、責任が増えて、体力も落ちてくるので、海外に出るハードルは上がっていくと思うからです。
もう一つ強く感じているのは、実際に日本を離れて暮らすことの価値です。SNSやインターネットを通じて海外を知るのと、現地で実際に見聞きすることは全然違います。それに日本の外に身を置くと、日本という国を客観的に見られるようになります。日本の良さも、逆に課題も、外からだからこそはっきり見えてきます。この視点は、日本にいながら意識的に持とうとしても、なかなか手に入らないものだと思います。
だからこそ、少しでも行きたい気持ちがあるなら、早めに一歩踏み出してほしい。海外に出ること自体が、想像以上に人生の見え方を変えてくれるはずです。

